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米軍機から逃げた当時の体験を振り返る杉本猛さん=加古川市
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米軍機から逃げた当時の体験を振り返る杉本猛さん=加古川市
9歳だった頃の杉本さん=1946年(本人提供)
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9歳だった頃の杉本さん=1946年(本人提供)

 76年前、空から米軍機が襲いかかり、銃弾が降ってきた。太平洋戦争末期の1945(昭和20)年、現在の兵庫県加古川市も戦渦に巻き込まれた。空襲警報発令は数十回におよぶ。住民らは逃げ惑い、犠牲者も出た。当時、命の危機から逃れた体験を聞いた。(斉藤正志)

 米軍機が飛来する音が、不意に鳴り響いた。当時8歳だった杉本猛(たけし)さん(84)=加古川市=は、一緒にいた3歳上の友達に背中を押され、水田に頭から突っ込んだ。

 1945(昭和20)年8月。晴れ渡った日だった。杉本さんは友達と2人で、東志方村(現在の加古川市志方町)の水路で、ドジョウを捕っていた。

 米軍機の音は次第に大きくなる。泥まみれになりながら、青々と伸びる稲穂の中で、息を殺した。米軍機は爆音とともに、数メートル上空を飛び去った。生きた心地がしなかった。ほんの数分だったが、長い時間のように感じた。

 帰宅して父に「米軍の戦闘機に襲われた」と言うと、「そんなこと言うな。黙っとけ」と叱られた。日本に不利な状況を話していると知られると、処罰されることを父は恐れていた。

 「戦争は銃後の女性、子どももひどい目に遭う」と杉本さん。食糧不足の中、畑で出会った親子のことも忘れられない。

 杉本さんは、飼料用に干したイモのつるが盗まれないように見張っていた。ある日、畑に出向いた際、痩せた女性が幼い女の子の手を引き、つるを袋に入れていた。あまりにもかわいそうで、とがめなかった。

 「戦争は勝っても負けても悲劇。もう絶対にしてはいけない」と話した。

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