(23)「死」は隠すものじゃない
2020/04/18 10:52
「死は隠すものじゃないんですよね」。浦崎雅代さんは繰り返し言った=タイ北部・ウッタラディット県
私たちが通訳をお願いした浦崎雅代さん(47)が、学生時代にタイで経験した出来事について話し始める。
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当時は出身地の沖縄県にある琉球大学3年生だった。
タイに詳しい恩師の影響もあり、貧困や環境問題に取り組む僧侶の社会活動を研究していた。そこで訪れたのが、タイ東北部の緑豊かな地域にあり、「森の寺」とも呼ばれるスカトー寺だった。
浦崎さんはある日、寺の近くの広場にひつぎが運び込まれる様子を目にする。どうやら火葬が始まるようだ。
たくさんの人に交じって見ているうちに、ひつぎに火が付けられ、あっという間に炎に包まれた。焼けたひつぎが崩れ、中の遺体が見える。骨や肉も確認できる。
大人だけではなく、子どもも見ている。でも、誰も泣いていない。「遺体が焼かれる光景なのに、まるでキャンプファイアみたいでした」と浦崎さん。
「ああ、自然に帰るってこういうことなんだなって思いましたね。『死』に対してオープンで。死は隠すものじゃないんだよと、教えてもらった気がします」
◇ ◇
2歳の時、沖縄県警の警察官だった父が亡くなった。物心がついた浦崎さんは父が亡くなったことに気付くが、母は「お父さんはアメリカに働きに行っている」とその死を隠した。
「父の死が、家の中で隠されているのが重荷だったんです」。そんな浦崎さんの心を、タイでの出来事が軽くしてくれた。
その後もタイに関わり続け、2010年から5年間、名門のマヒドン大学で宗教学部の講師も務めた。今は、スカトー寺と関係の深いタイ東北部の修行場に家を建て、タイ人の夫と息子と暮らす。
タイ仏教の翻訳家で、僧侶の説法などを紹介する活動にも忙しい。
◇ ◇
「日本ではほら、『死』は悲しいことであり、泣くべきことであったりするものですけど、タイではそうじゃないんですよ。もちろん悲しいんですけど、死をありのまま受け入れるというか…。苦しみながら死のことを話さなくてもいいんです」
浦崎さんは明るく、快活ないつもの表情で「死」について語る。死をありのまま受け入れる、死は隠すものじゃない。言葉がすーっと、私たちの胸に染みていく。