朝から日差しが強い。湿った空気が肌にまとわりつく。タイ北部のウッタラディット県を訪れた私たちは、取材の合間、通訳を依頼した浦崎雅代さん(47)と一緒にまちを歩くことにする。
タイに住んで10年になる浦崎さんは、現地の僧侶の知人が多い。病院を巡回するスティサート師もその一人だ。
病院の前に、車やバスが行き来する通りがある。道を挟んだ歩道沿いには小さな食堂や屋台、コンビニが軒を連ねる。浦崎さんが立ち止まって声を上げる。「あっ、ここ、棺(ひつぎ)屋さんですよ」
中に入ると、金や銀の装飾を施した棺が置いてある。奥から店主の男性(52)が出てきた。商品は装飾や材質によって日本円で約9千~3万円と幅がある。
ラオスやミャンマーから出稼ぎにやって来た人が亡くなり、身元不明のまま火葬される場合などは無料で提供しているそうだ。
棺屋を出てしばらく歩くうち、小さな寺を見つけた。赤い屋根に黄色の壁など色彩豊かな建物が並んでいる。
一角に火葬場があった。屋根は金色に装飾されている。近寄って見ていると、隣の建物から子どもの声が聞こえてきた。開け放たれた窓の向こうに、制服姿の子どもたちが見える。
「タイでは、お寺の敷地内に学校があることが多いんですよ」と浦崎さん。
寺の僧侶に聞くと、公立の小中学校という。葬儀は数日間続くので、子どもたちは自然と葬儀の風景を見て過ごすらしい。「なんていうか、『死』が日常に近くて、隠すものではないんですよね」。浦崎さんが軽やかに言う。
病院に戻り、昼食のガパオライスを味わいながら、浦崎さんとゆっくり話をする。
「タイでは、苦しみながら死のことを話さなくてもいいんですよね。私は長い間、『死』が隠されていることが、すっごく重荷でした」
何があったのだろう。
話は1975年3月11日にさかのぼる。那覇市で、事件警戒のため、警察官が車を止めて待機していた。そこに猛スピードで車が突っ込んだ。
警察官は即死。浦崎さんの父である。
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