(15)「最終章納得できる形に」
2020/05/18 10:12
自らの死生観について語る柳田邦男さん=東京都新宿区
人生の終末期について考える連載シリーズを書き進めてきた私たちには、ぜひ会いたい人がいた。
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ノンフィクション作家の柳田邦男さん(83)だ。災害や事故、医療の現場を取材し、命の意味を問い続けている。
今年1月、私たちは柳田さんに会うため、東京・新宿のホテルに向かった。
◇ ◇
柳田さんは1993年夏、次男を自殺で亡くしている。25歳だった。いったん蘇生したものの、脳死状態となり、心停止後に臓器を提供した。
「最初は、支えになれなかったという申し訳なさがありました。でも、次男が生きた意味を見つけてやらなければと思いました」
柳田さんは残された日記や短編の文学作品に目を通す。文面から、友人たちへの思いやりが感じられ、「死後の方が、次男のことを分かったように思えました」と話す。
残された人にとって、故人の生きざまや生前の言葉は大きな意味を持つ。柳田さんはそれを身をもって知り、「精神性のいのち」と呼んだ。
「死で身体的、社会的ないのちは終わります。でも、次男の精神性のいのちは私の中で生きています」。優しい口調で私たちに語り掛ける。
「亡き人は生きる人の心を浸し、励ましたり刺激を与えてくれたりする。次男がそれに気付かせてくれました」
◇ ◇
私たちはオランダで安楽死による最期に触れた。台湾では終末期に延命治療を中止する選択肢が法整備され、日本でも自然の経過のまま死を受け入れる尊厳死が広がりつつある。
「安楽死や尊厳死って、死の瞬間しか捉えていない。人は瞬間ではなく、物語を生きているんですよ」。私たちは柳田さんにそう諭される。
人はいつか必ず死を迎える。そこで大事になるのは納得だ、と柳田さんは考える。「自分の人生に納得できれば、人は死を受け入れられるんじゃないかって思うんです」
死の瞬間だけでなく、自分が生きてきた道のりを振り返り、その上で、どう終えるのかを考える。それが自分らしい人生の終(しま)い方につながるのだろうか。
「死に向かってどう生き、物語の最終章をどんな形にすれば、自分で納得できるのか。最終章をしっかりと書いて最期を迎えることができれば、その人の尊厳が守られた死になると思います」
私たちを見る柳田さんの目に、力がこもった。