長谷川穂積、2階級制覇 遺影掲げ「母に強い自分を見せたかった」
2020/05/09 18:24
2階級制覇を果たし、母・裕美子さんの遺影を掲げる長谷川穂積=名古屋市南区、日本ガイシホール
「もう一度ベルトを取ったことで、母親は喜んでいると思う」-。2010年11月26日、名古屋市内で行われた世界ボクシング評議会(WBC)フェザー級王座決定戦。新王者となった長谷川穂積選手(29)=西脇市出身=は母裕美子さんの遺影をリング上で掲げた。がんと闘いながら「命とかえても、あの子に光を」と願った母に2階級制覇をささげた。
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裕美子さんに大腸がんが見つかったのは2006年末。長谷川選手はWBCバンタム級タイトルを3連続防衛中だった。裕美子さんは病気を押してリングサイドに駆け付け、長谷川選手は声援を励みに防衛を重ねた。裕美子さんには「(お金のことは)何も心配しなくていい」とファイトマネーを医療費に充てた。
だが、がんは子宮や肺に転移した。10年4月、長谷川選手は11度目の防衛に失敗し、王座から陥落。同年10月24日、裕美子さんは「勝ってよ」と言い残し、55歳で帰らぬ人となった。長谷川選手は通夜で「(亡くなったのは)負けたせいやと思ったこともあった」と苦しい胸の内を明かした。
裕美子さんは日記に息子へのメッセージを残していた。「もし命とかえられるなら、あの子に光を与えて下さい。私なんかどうでもいいから(中略)そしてまた、本当に強いボクシングを皆に見せてほしい」。長谷川選手は涙で読めなかったという。
長谷川選手は激しい打ち合いを制し、無敗の相手を下した。「人生最大の試合。母に強い自分を見せたかった」。傷だらけの顔が緩んだ。(伊藤大介)