「メダルを見るまで死ねない、と馬淵先生に言われてるので」寺内健、6度目の五輪
2021/08/03 19:40
男子板飛び込み決勝 寺内健の1回目の演技(撮影・高部洋祐)
1980年代初めのJSS宝塚。「赤ちゃんらしくない、立派な顔してるわねぇ」。ベビースイミングに連れられてきた寺内健の顔を見て、飛び込みコーチの馬淵かの子さんは笑った。
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40年後。寺内は「TOKYO」の男子板飛び込み決勝に立っていた。もう6度目の五輪。「メダルを見るまで死ねない、と馬淵先生に言われてるので」。64年東京大会に出た恩師にささげる舞台でもあった。
3回目の前逆宙返り2回半1回半ひねりえび型(5353B)。「板が硬い」。なるべく先端を踏んで跳ねようとしたが、足の指がはみ出た。バランスを崩し、姿勢が整わぬまま水面を迎えた。
表彰台を逃した。だがスタンドの関係者らは一斉に立ち上がり、第一人者に拍手を送り続けた。目を潤ませる寺内。馬淵崇英コーチが声を掛けた。「よくここまで来た。この拍手がすべてだ」
宝塚市立西山小5年の時、飛び込み人生は始まった。15歳のアトランタ五輪を皮切りに、シドニーは高飛び込み5位。引退、復帰を経て数秒の芸術に身を投じ「挑戦する幸せを感じた」と語る。
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