【13】経筒 その三 千年の夢が、5分で覚めた
2020/11/16 13:13
汚れを落とすと、「十羅刹女」などの文字が現れた兵庫ゆかりの経筒
経筒(きょうづつ)の話、である。
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私が大阪・四天王寺の縁日で一目ぼれした経筒は、想像していた平安時代のものではなく、昭和の金工作家が作ったものだと分かった。
ネットで調べると、近現代の金工作家らによる「経筒風花入れ」がオークションに何点も出品されている。前回紹介した大阪・四天王寺の女性店主の言葉通り、これは「花入れ」だったのだ。
私が「気品漂う」と感じた筒身(とうしん)の青かびも、なんと「さびカラーセット」なるものが市販されており、金属塗料と発色液で子どもでも加工できることを知った。
千年の夢が、たった5分で覚めてしまった。
落胆した気持ちを落ち着かせるために、何かに没頭し、心を空っぽにする必要があった。そこで、これまでに購入したほかの経筒を手に取り、埋納されたいにしえの時代に思いをはせることにした。
ふと、陶製の一つ(高さ21センチ、直径約9センチ)があまりに汚れているのに気付き、筒身をタワシでこすってみた。すると、何やら文字が刻まれているではないか。
十羅刹女 播州住 良凡
(梵字)奉納大乗妙典六十六部
三十番神 亨禄三年
十羅刹女(じゅうらせつにょ)、三十番神はともに法華経(ほけきょう)の守護神である。
享禄三(1530)年に、播州のどこかに住む良凡という人が、大乗妙典(法華経)六十六部を書写して奉納したということのようだ。
六十六の奉納先は不明だが、経筒の中には、良凡の写経文が入っていたはずだ。調べてみると、鎌倉時代には全国六十六カ国(旧国名)の霊場で、巡礼者が法華経の写経を入れた経筒を奉納していた。驚くことに明治初期まで続いていたという。
経筒に経典を書き写したものを入れ、願いを託して土に埋める願掛けの最盛期は12世紀とされ、平安時代の公家たちによるものとばかり思っていた。平安期は「死後の」極楽往生を願って納めたが、鎌倉末期以降になると「現世利益」中心に変わったようだ。
平安時代の話をすれば、天然痘とみられる疫病が何度も大はやりした。さらに大風や洪水、飢餓や合戦。人々が、仏教の教えが衰滅し、世の中が混乱する「末法」の時代が来ると信じたのも無理はない。
千年の昔も今も、予期せぬ凶事が社会を襲う。現在進行中の新型コロナウイルスの感染拡大もそうだ。ちまたでは、疫病退散にご利益があるとされる江戸時代の妖怪「アマビエ」が話題に上っている。
やはり、人々が最後に頼りたくなるのは人智(じんち)を超えた力なのだと思い知る。
(骨董愛好家、神戸新聞厚生事業団専務理事 武田良彦)