(7)「ああ、今日で終わりか」

2013/12/16 16:25

日向とともに航空戦艦に改装され、囮部隊に加わった「伊勢」=1943年8月、伊予灘で撮影(大和ミュージアム提供)

 小沢治三郎中将が率いる艦隊は、囮(おとり)となって敵を引きつけるため、山中喜平治(きへいじ)さん(91)=丹波市青垣町遠阪(とおざか)=が乗る航空戦艦の「日向(ひゅうが)」「伊勢」などを擁して、フィリピン方面へと南下した。1944(昭和19)年10月24日、ついに米軍の空母を発見。小沢艦隊の戦闘詳報には、午前11時45分の欄に「攻撃隊ヲ発進ス」とある。 関連ニュース 兵庫出身コンビ投打けん引 智弁春夏連覇へ好発進 個性ある商品開発を デザイナー育成へプロが講義 「丹波竜」発見10年 発見者2人に思い聞く


 「戦闘でこちらの空母が沈んだときのために、攻撃に出た飛行機は空母に戻らず、フィリピン諸島にある日本軍の基地へ行くと聞いとりました。近くにいた空母から出た1機が、機体の状態が悪かったのか、すぐ海に落ちてしまうのを見ました。それで、一体どんだけの飛行機が基地にたどりつけるんじゃろな、と思っとりました」

 小競り合いを経て、翌25日午前8時半ごろ、米軍の機動部隊が小沢艦隊に襲いかかる。場所はフィリピン北東のエンガノ岬沖だった。

 「電探(レーダー)が敵が来たことを知らせましてな。だんだん私らの肉眼にも見えてきて、敵の編隊が千羽すずめみたいな形で見えますわいな。そしたら『ああ今日で終わりか』と思うて、故郷の山や親きょうだいの顔がずーっと浮かんできましてな。走馬灯のように見えとりました」

 山中さんは右舷後部の3連装機銃の射手だった。3連装機銃はまず、別の射手が電動で2基を操る。電動がきかなくなったときが、山中さんの出番だった。

 「敵がだんだん近づいてきたら高角砲が撃って、すぐ3連装機銃が電動で続きました。そしたら怖いという気はパッと飛んでしまいましたな。敵の機銃掃射で、パンパンと弾が船に当たる音が聞こえました。私はいつ戦闘で電線が切断されて、機銃を撃たなあかんか分からんので緊張して座っとりました。うまいこと当たりよるかな、と思いながらずっと照準機をのぞいとったんです」

 日向はロケット弾を発射する噴進砲を備え、対空機銃も増強していた。

 「ようけ撃っても、飛行機が落ちんのにはびっくりしましたな。日向には機銃がようけあったからか、向かってくる飛行機は少なかったです。まず一番に空母が狙われとりました」
(森 信弘)

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