お母さん見ていてね 震災遺児2人が手紙 神戸で集い
2013/01/13 22:25
両親や兄への手紙を読む木原喜子さん=神戸市東灘区本庄町1(撮影・峰大二郎)
阪神・淡路大震災から丸18年を前に、遺児を支援する民間団体「あしなが育英会」の神戸レインボーハウス(神戸市東灘区)で13日、「今は亡き愛する人を偲び話しあう会」が開かれた。震災で母を亡くした女性2人が手紙を読み、あの日から18年間の思いを伝えた。
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「お久しぶりです」
神戸市長田区の助産師木原喜子さん(25)は、祭壇に置かれた母かよ子さん=震災当時(43)=の遺影に語りかけた。
当時は7歳。西宮市の自宅は全壊した。地震の瞬間、「喜子」と自分の名を呼んだ母は、病院に運ばれる途中で息を引き取った。兄の道夫君=同(9つ)=も亡くなった。
中学2年の春には、父が病気で逝った。「命」について漠然と考えるようになったのはそのころ。高校に入り、助産師を夢見るようになった。
助産師として働き始めてもうすぐ2年。「まだまだ未熟で、目の前のことで精いっぱい。きっと今の私を母は『もっとしっかりして』って思ってるかも。安心して見てもらえるよう生きたい」
西宮市で被災した林田美由紀さん(32)=加古川市=は、母の小林弘子さん=震災当時(42)=を亡くした。「私も母親になったよ」と語りかけ、元気でやんちゃな息子陸矢ちゃん(1つ)の誕生を報告した。
思い出すのは、自分とは正反対に見える母のおおらかな性格。料理やお菓子作りも得意だった。震災前日に手作りしてくれた好物のリンゴケーキは、何度作ってみても、見た目も味も及ばない。
「成長した姿を母に見せたかった」と臨んだこの日。でも「いろいろ教えてほしいし、いっぱい甘えたいよ」とも語り、涙をぬぐった。
母の死をきっかけに看護師となり、今は育児に専念する。「これからも、私と家族を見守っていてね」。ほほ笑む母の遺影を見上げた。
偲び話しあう会は、1996年1月から毎年開催。今年は遺児や保護者ら92人が参加した。
(上田勇紀、永田憲亮)