特攻隊員だった恩師の思い、歌に 平松愛理さん

2018/01/07 10:42

恩師の思い出と歌に込めた願いなどを話す平松愛理さん=神戸市中央区波止場町(撮影・杉山雅崇)

 「1・17」に合わせて阪神・淡路大震災の復興支援ライブを続けるシンガー・ソングライター平松愛理さん=神戸市須磨区出身=が今年、特別な思いを込めて歌う一曲がある。第2次大戦で特攻隊員となりながら生き延びた恩師からの手紙をきっかけに作った「花と太陽」。命や出会いの尊さを説き続けた恩師は昨春、95歳で亡くなった。「私にも伝えるべきことがあるはず」。震災23年を前に、大切なバトンを受け継いだと感じている。(森 信弘) 関連ニュース 神戸市で新たに32人感染、5人死亡 新型コロナ 「東急ハンズ三宮店」30年の歴史に幕 コロナ禍の大みそか、各地の様子 神戸で41人が感染 新型コロナ


 恩師は、平松さんが通った親和中学・親和女子高校(同市灘区)で英語を教え、担任だったこともある故小林発巳(はつみ)さん。授業では大学在学中に学徒出陣をして特攻隊員になった経験に繰り返し触れ、死地に赴く仲間を見送ったこと、だから出会いを大切にしたいという思いを切々と語った。
 卒業して平松さんが音楽活動で活躍するようになってからも、つながりは絶えなかった。そして、平松さんの一人娘、初一音(はいね)さん(21)が中学に入学する2008年春、小林さんからお祝いの手紙が届く。平松さんは夫と離婚してシングルマザーになり、懸命に日々を暮らしていた。
 10歳で両親を亡くした小林さんは「自分は勉強で成績が良くても、運動会で賞をとっても、つまらなかった」と自らの境遇に触れた上で、初一音さん宛てにこうつづっていた。「君の場合はうんと喜んでくれるお母さんがいて、やればやるほど喜んでくれる。うらやましいね。すごいじゃないか」
 子育てに力んでいる自分の背中を優しくさすられたような気がして、平松さんは涙が止まらなくなった。10歳だった頃の先生に歌って聞かせてあげたい-。そんな思いで翌月、「花と太陽」を書き上げ、小林さんにキーボードの弾き語りでプレゼントした。
 11年に東日本大震災が起きた後、平松さんはコスモスの種を宮城県山元町でまく「花サカスプロジェクト」を始めた。現地で歌を贈ることも多いが、どの歌よりもリクエストされるのが「花と太陽」だ。「東北では親を亡くした子も、子を亡くした親もいる。いろんな形で歌の主人公になれるからかな」と思う。
 小林さんは90歳を超えても、講演会などで若い世代に戦争の体験を伝えようとしていた。「私が復興支援ライブを続けているのは、小林先生の教えに触れた影響も大きい」と平松さん。歌うことの意味は「人の気持ちに花を咲かせること」だと気付いたといい、「人と人の心がつながるよう、祈りを込めてこの歌を歌いたい」と穏やかな笑みを浮かべた。
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 復興支援ライブ「1・17KOBE MEETING」は13日午後4時から、神戸・ポートアイランドのジーベックホールで。前売り4500円、当日5千円。収益は阪神・淡路と東日本の遺児支援活動などに寄付する。神戸国際会館TEL078・231・8162

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