震災で会社焼失も地道に歩む 元プロ野球選手の島田さん
2020/01/14 05:30
阪神・淡路大震災で被災し、再建したビルで靴の卸業を営む元プロ野球選手の島田芳明さん。応接室には、現役時代の思い出の品が並ぶ=神戸市長田区大橋町1
阪神・淡路大震災で被災した元プロ野球選手が「靴のまち・長田」で商売を続けている。靴の卸商社「淡路屋商事」(神戸市長田区大橋町1)を経営する島田芳明さん(62)。震災では会社が焼失し、壊滅的な被害を受けたが、がれきの片付けから始め、事業を再び軌道に乗せた。華やかなプロ野球の世界から一転、現実を受け止めながら奔走してきた四半世紀。「野球も商売も地道にやるしかない」と、震災から25年を前に、自らの歩みに思いを寄せる。(金山成美)
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滝川高で選抜高校野球に出場し、同志社大に進学。1979年にドラフト3位で中日から指名され、プロ野球選手になった。「最もレベルの高いところで野球ができて幸せだった」。俊足の外野手として、30歳まで現役でグラウンドに立った。
引退後、家業を手伝っていた95年、震災が発生。火災で事務所ビルや商品を保管する倉庫を失った。「すぐそばに消防署があるのに、水も出ない。燃えているのを見るだけしかできず、ぼうぜんとした」。会社と生まれ育ったまちが激変する様子に、立ち尽くした。
震災後しばらくは、燃えたがれきを撤去する日々。毎年契約更改があるプロ野球と比べ、「成績や自分の状態で来年のことがだいたい予想できる野球と違い、不安の塊だった」と当時を振り返る。
父親が勇退して2代目代表になり、震災から4年後、再開発地区に指定された跡地から約300メートル東の国道沿いに自社ビルを新築。運動靴や長靴などを扱いながら、不動産業も手掛ける。「長田のシューズ業界は、震災を分岐点に、廃業してしまった人もかなり多い。いつまでできるか分からない」と不安は尽きない。
それでも「2軍で試合に出られなかった時、例えば同級生で広島の北別府(学)の配球など、相手投手を研究していたのが1軍に上がってから生きた。野球で我慢すること、諦めないことを学んだ。達成感を味わったから、何があっても怖くない」とも思う。震災から25年、「いろんな経験をしながら、やればいい」と、靴のまちの灯を守り続けている。