【8ー1】仮設の日々 「つながり」孤独死防ぐ命綱

2019/12/14 11:45

「火の用心」のかけ声と拍子木の音。仮設住宅では住民同士が見守りの活動に取り組んだ=1995年12月20日、神戸市中央区、ポートアイランド第1仮設住宅

 写真をじっと見詰めていた。 関連ニュース 孤独死ゼロへ、ホームレスや障害…「身寄り」なき人々が支え合う 仲間の助けで遺骨は親族のそばへ【地域再生大賞・受賞団体の今】 <マンション・クライシス>【7】孤独死 組合が未収金放置、不良債権に 「これなら買える!」孤独死の“事故物件”購入に乗り気な夫と、悩む妻 特殊清掃済みの家に下した決断は

 1995年秋、神戸市中央区のポートアイランド第3仮設住宅。自治会長の安田秋成(みのる)(94)は午後10時ごろ、見守り活動中に暗い部屋に小さくともるあかりが気になった。独り暮らしの60代男性宅。缶ビールが置かれたテーブルの前で座っていた。
 2時間後、再び男性宅をのぞいた。同じ姿勢だった。男性は洋裁業を営んだが、阪神・淡路大震災で事業再開が困難に。妻は震災の犠牲になった。見詰めていたのは遺影だった。
 「一緒に死んだほうがよかったな」。心の悲鳴が聞こえた。
 安田は男性が所有するミシン3台を仮設住宅のふれあいセンターに置くよう提案。洋裁の教えを請う女性らが現れ、男性に人付き合いが生まれた。
 「向こう三軒両隣」。住民がそんな関係を欲していると感じた安田は仮設住宅内の道路や垣根を修繕するチームを立ち上げ、コミュニティーづくりに腐心する。ふれあいセンターでお茶会を開き、正月は餅をついた。
 2012年、同仮設で最高齢だった女性を訪ね、百寿を祝う。「みんなが思い合い、協力した。人間らしい生活だった」。懐かしそうに語る表情は、安田の忘れられない思い出だ。
     ◇
 仮設住宅へ。被災者は避難所を脱し、生活再建への一歩を踏み出したはずだった。だが、思いも寄らない事態が相次ぐ。孤独死だ。
 「希望の見えない日々が、被災者に重くのしかかった」。仮設住宅で支援活動を担った市民団体「阪神高齢者・障がい者支援ネットワーク」代表の宇都幸子(75)が振り返る。
 家族や住居、職を失ったストレスが仮設住民の心と体をむしばんだ。元の住まいで育んだコミュニティーは断絶し、個室に引きこもった入居者の異変に気付くのが遅れた。震災を巡る孤独死は233人に上った。
 宇都が参加した支援団体で代表を務めた看護師の黒田裕子(故人)は、神戸市西区の西神第7仮設住宅で24時間態勢の見守り活動に一身をささげる。「孤独な死の前に、孤独な生がある」。アルコール依存や心の病など生きづらさを抱えるあらゆる仮設住民たちに、時に優しく、時に厳しく、寄り添った。
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 新しい課題も生まれている。兵庫県立大大学院減災復興政策研究科長の室崎益輝(よしてる)(75)が「被災者の存在が見えなくなった」と指摘する点だ。
 ピーク時の95年11月に4万8300戸が供給された阪神・淡路の仮設住宅はほとんどがプレハブ工法で建築された。一方、東日本大震災では計11万7558戸の約6割にあたる約6万9千戸が、民間賃貸住宅を借り上げる「みなし仮設」となった。みなし仮設は熊本地震や西日本豪雨でも主流になった。
 ここで問題が起きる。みなし仮設では、周囲から被災者として認識されずに孤立感を深め、ボランティアらによる支援の対象からも漏れてしまう。熊本県では、みなし仮設での孤独死がすでに30人を超えている。
 政府は、南海トラフ巨大地震で必要な仮設住宅を105万~205万戸と試算する。そのうちみなし仮設を121万戸と見込むが、その膨大な数の分だけ「見えない被災者」が生まれ、孤独死予備軍となる懸念が拭えない。「軒を並べた仮設住宅で生まれた人と人の支え合いにもっと目を向けるべきだ」と室崎。人と人とのつながりこそが命綱になる。=敬称略=

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