【17】3日間の暗闇「神様、なぜ」と女性は叫んだ 香住支局長(当時)中部剛報道部デスク

2020/03/04 11:10

避難所で出会い、話を聞いた女性=1995年1月20日、神戸市長田区

 焼け切れた電線が垂れ下がり、黒焦げの車も転がっている。がれきの上を歩き続け、足の裏が痛んだ。 関連ニュース 神戸で新たに82人感染 新型コロナ 兵庫県で新たに211人感染、62日ぶり200人台 4人死亡 新型コロナ 兵庫県宝塚健康福祉事務所の職員1人が感染 新型コロナ

 震災の3日後。神戸市長田区にいた。ドラマで見た空襲後の町と同じ。信じがたい現実が広がっていた。
 ふだん取材対象にカメラを向けるとき、対象の特徴を際立たせるよう工夫する。だが、被災地のどこにカメラを向けても圧倒的な現実がファインダーに収まりきらない。マンションの上階に駆け上がった。
 焦土の町を見渡し、カメラを向けたとき、グラッときた。ビルが激しくきしむ。「崩れるな」。かがみ込んで祈った。揺れが収まっても、しばらく鼓動が早まったままだった。
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 倒壊家屋から70代女性が3日ぶりに救助されたと聞き、病院に向かった。しかし、女性はいない。3日も閉じ込められていたのに、病院から出て避難所に向かったという。病院は、女性よりも深刻な患者たちであふれかえっていたからだ。
 女性は避難所で一人ぽつんと座り込んでいた。3日間、暗闇の中で何度もこう叫び続けたという。
 「神様、私がなんでこんな目に遭わなあかんの。一生懸命、まじめに生きてきたのに」
 住所と名前を聞くと、おぼつかない手つきで名前だけ取材ノートに書いてくれた。在日朝鮮人だという。差別にさらされ、貧しさにも耐えながら懸命に生きてきた女性に、追い打ちをかけたのが震災だった。
 この女性の記事は、わずかな行数。神戸新聞社も被災し、京都新聞の協力を得て新聞発行ができたものの、薄っぺらな新聞だった。
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 1週間ほどで、もとの持ち場である但馬に帰ったが、まだ、地域版は復旧していない。1枚の用紙に「但馬版」をつくり、折り込み広告と一緒に挟み込んだ。新聞紙面を持たない新聞記者。あのときほど、悔しくて、もどかしいことはなかった。
 震災の不条理、悲しみ、苦しみ…。その中から芽生えた希望、ぬくもり、支え合い…。書きたいことがたくさんあるのに書けなかった。その渇きは今も変わらない。
 震災という圧倒的な現実をどこまで伝え切れたのか。まだ、ほんの一部でしかない。1995年に起きた現実は今も続いている。

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