15代当主の父の遺志継ぎ決意「明石とのつながり大切に」 旧明石藩主・越前松平家の子孫彦山靖子さん
2022/07/06 05:30
歴代藩主の墓が並ぶ長寿院で両親の墓石に手を添える彦山靖子さん=明石市人丸町
代々明石藩主を務めた越前松平家の子孫、彦山靖子さん(57)=静岡市=が神戸新聞社のインタビューに応じた。15代当主である父、松平直晃(なおあき)さんを昨夏亡くした後初めて菩提(ぼだい)寺の長寿院(兵庫県明石市人丸町)を参拝。由緒ある家に生まれたがゆえに抱いた葛藤も交えつつ、「遺志を継ぎ明石の方たちとのつながりを大切にしたい」と語った。(長尾亮太)
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1975年、14代当主の松平尚次郎さんが40代で亡くなると、その友人で、妹の夫でもある日高震二さんが婿養子になって家を継ぎ、「松平直晃」と名乗った。靖子さんは当時小学6年生で「それまで母方の家系について知らなかったので、びっくりした」。
直晃さんや母弥栄子さんと一緒に、靖子さんが初めて明石を訪れたのは中学3年生の時。旧明石藩家臣の子孫や歴史愛好家でつくる「明石葵(あおい)会」の人たちに温かく迎えられ、楽しそうに親交する直晃さんの姿を目にして、「父はこういうことをしたかったんだろうな」と感じたという。
靖子さんは妹と2人姉妹だった。社会人になると両親から「婿養子を取って家を継いでくれたら」と伝えられた。靖子さんは、次第にそのことを条件として意識し、結婚について悩むように。だが、「この人と」という自身の気持ちを大切にし、結婚した男性は婿養子とならなかった。
昨年8月に直晃さんが亡くなり、戸籍の上で松平家は途絶えた。「名前を残せなかったのは大変残念」。靖子さんはそう思うとともに、遺志をしっかり継ごうと決意した。がんと闘病していた直晃さんから「松平の名はなくなっても、血はつながっているのだから明石との関わりを続けてほしい」と返す返す言われた。
今年6月27日、靖子さんは越前松平家の初代直良をまつる永観堂(京都市)と長寿院をお参りした。長寿院では葵会の人たちを前に「父のようにうまくできないけれど、会合に出席するなど務めを果たしていきたい」とあいさつした。
明石葵会の杉山治代・会長代行(86)は「直晃さんが亡くなられ、つながりがどうなるか心配していたので、お気持ちを聞けてうれしかった」と笑顔を見せた。
【明石の越前松平家】徳川家康の次男秀康をルーツとする越前松平家の分家で、初代は秀康の六男松平直良(なおよし)。1682年に2代直明(なおあきら)が越前大野から明石へ移された。11代直致(なおむね)は1869年の版籍奉還で知藩事になったが、71年の廃藩置県で罷免されて東京へ移り住んだ。12代直徳は貴族院議員を務めた。