演劇の力で被災地を支援、「国境なき劇団」が始動 出前講演で心のケア
2022/07/16 14:50
宮城県で「学校ウサギをつかまえろ」を上演するピッコロ劇団=2015年11月(劇団提供)
被災地での心の復興を演劇的手法により支援する全国組織「国境なき劇団」が今春、活動をスタートさせた。呼びかけたのは阪神・淡路、東日本、熊本の震災から生まれた演劇人の団体。ネーミングには、被災地間の交流を続けてきた兵庫県立ピッコロ劇団(尼崎市)のイメージが重ね合わされているという。(田中真治)
関連ニュース
「拾われた男」俳優松尾諭さんの半生がドラマに 母校ロケで兵庫に凱旋「ぐっときた」
宇宙旅行者の前沢友作さん、「お金贈りおじさん」として豊岡市にふるさと納税1千万円 返礼品は…
是枝監督も「一番の課題」 映画業界埋まらぬ男女格差 実態把握に向けCF 豊岡の映像作家ら
「災害が起きたとき、顔が浮かぶとつながることができる。普段から関係をつくっておきたい」
今年3月、オンラインを含め約70人が参加した「国境なき劇団」のキックオフミーティング。事務局を務めるNPO法人「大阪現代舞台芸術協会」理事・ののあざみさんはネットワークの必要性を強調した。
同協会は1997年設立で現在は約30劇団と個人が加盟。演劇文化を根付かせるべく行政への働きかけや合同公演に取り組むが、原点は阪神・淡路大震災だ。
ボランティア元年といわれた当時、演劇界の支援は手探りだった。前年に発足した「関西演劇人会議」の活動も義援金の呼びかけなどにとどまったことから、「有事に対応可能な組織が必要」との議論が起こり、同協会へ発展。2011年の東日本大震災では仙台へ「御用聞き」に入り、阪神・淡路の活動資料を届け、チャリティーイベントを催すなど機動的な支援を展開した。
「劇都」を掲げる仙台では、震災直後から演劇人らが「ARCT(アルクト)」を結成。登録メンバーが避難所や学校などのニーズに応じて、ワークショップや公演で被災者の心身をケアする出前活動の基盤となってきた。
「転換点は16年の熊本地震」と代表の野々下孝さん。編集作業中の活動報告書を現地に持参し、同様の活動を始めた「SARCK(サルクック)」をサポートする中で「関西から仙台、熊本へと伝えていけるものがあり、つながりをつくれる」との思いを強くした。
SARCK代表の松岡優子さんも「災害の前で演劇やアートは無力と感じるが、出番は後から来る。すぐに動き出せるよう手をつなぎたい」と共感。18年から3団体で相互に現地視察や報告を重ね、昨年、横断的な組織の設立にこぎ着けた。
「四十七士」と呼ぶメンバーを全都道府県に確保するため、今はオンラインで会合を重ねつつ、被災地で聞き取った言葉を作品にして各地を回ることを考えている。「記録し、伝えることもミッションの一つ」とののさん。それには「演劇人のコミュニケーション力が役立つ」と感じている。
活動予定や寄付は「国境なき劇団」のサイトから。
■ピッコロ劇団、先駆的な活動
「国境なき劇団」という名前は元々、ARCTにスペースを提供した仙台市の演劇振興拠点「せんだい演劇工房10-BOX」の2代目工房長・八巻寿文さんの造語だ。2002年のオープン時から、社会貢献の場という意識を共有するためのキーワードだった。
ただ、八巻さんにも「どんな形やシステムか分からない」まま、東日本大震災に襲われた。そこへ兵庫から駆け付けたのが、ピッコロ劇団のメンバーだった。
全国初の県立劇団を擁するピッコロシアターは、担当者には欠かせない視察先だった。「その憧れの存在が向こうから来てくれた。この人たちこそ『国境なき劇団』だと気づいた」と、八巻さんは振り返る。
ピッコロ劇団は発足1年目で阪神・淡路大震災に直面。避難所に足を運び、手探りで「激励活動」に出発した。校庭や公園をロープで仕切って舞台とし、「ももたろう」の寸劇では子どもと相撲を取ってストレスを発散させた。避難所が解消すると、参加型の「学校ウサギをつかまえろ」を創作して学校などを回った。
「公立劇団の存在価値を見いだすことができた」と劇団部長の田窪哲旨さん。東日本でも「現地の活動に継続的に寄り添いたい」と、人と人がつながる支援の在り方を考えた。
まず出前活動のたたき台にとワークショップを仙台で開き、次いで被災地発の公演を兵庫で受け入れた。さらに仙台の俳優らと作品を共同制作。レパートリーとなった「学校ウサギ-」を宮城県内でも上演した。
八巻さんは「毎年、われわれの状況に合わせたプログラムを用意してくれた」とし、10年を超える交流を「一つのモデルケース」と評価する。
阪神・淡路後の入団者が大半となったピッコロ劇団にとっても、交流を通じて被災経験を継承する意義は少なくない。
(田中真治)