舞子公園の巨大な石、その正体は徳川大坂城の石垣材 400年前の刻印も発見

2022/07/18 19:55

石材の意外な歴史が明らかになった兵庫県立舞子公園の園銘石=神戸市垂水区東舞子町

 兵庫県立舞子公園(神戸市垂水区東舞子町)の名称が彫りこまれた巨大な園銘石。その意外な正体が明らかになった。石の表面を縦横に走るミシン目のような穴に、文化財情報学の研究者が注目。画像解析の新技術で石材の細部を3D化するなど詳細に調査し、約400年前の貴重な史実が刻まれていることを発見した。 関連ニュース 姫路城音声ガイドに人気声優そろい踏み 鳥海浩輔さんと小野友樹さん、本多忠刻ら演じる 案内役は「暴れん坊将軍」松平健さん 姫路城で有料音声ガイド導入 燃えよ剣、燃えよ虎!阪神タイガースの若手選手たちが映画とコラボ 若き志士になりきりキリッ

 園銘石は最長縦約2・5メートル、横約3・5メートル、高さ約1メートル。公園の名とは別に長方形の穴が規則的に並ぶ。デザインにしては、やや不自然な印象だ。写真がウェブ上にあり、たまたま奈良文化財研究所(奈文研)主任研究員の高田祐一さん(39)の目に留まった。
 「これ、矢穴では」。高田さんは、江戸幕府が大名を動員して再建した大坂(大阪)城関連の石切り場を研究しており、切り出す際にくさびを打つ矢穴と直感した。2019年11月から現地調査し、矢穴の形状などから徳川大坂城の石垣材と断定。松江・堀尾家が用いた分銅形の刻印が残っていることも確認した。
 しかし、石の風化が進み、目視や拓本といった従来の手法だけでは刻印などの読み取りは困難だった。そこで、さまざまな角度から写真撮影し、コンピューター解析で3D化する技術を用い、刻印や線刻を浮かび上がらせて可視化した。
 新たに、円の中に3枚の葉と葉脈を表した刻印、さらに「松平」「五月」の文字を発見。刻印は松平姓の称号を許されていた土佐・山内家の「土佐柏(とさかしわ)」。史料や石切り場の刻印調査との検討から、1618(元和4)年秋から20(同6)年3月にかけて、城山刻印群(芦屋市、神戸市東灘区)周辺で刻まれたと推定し、奈文研の紀要に発表した。
 徳川大坂城の石材で複数大名の刻印と人名、年月がセットで刻まれた例は初確認という。高田さんは「山内、堀尾の両大名が石切り場の境界を示し合わせた」か、「場所の引き渡し時に刻んだ」とみる。「普請(工事)の契約行為を再現できる貴重な資料」と高田さん。「画像解析という新技術で、これまで見逃されてきた刻印や線刻に光を当てられる」と研究の進展にも期待する。
 ところで、舞子の園銘石は、兵庫県が公園改修に合わせ、地元小中学生から募った題字を刻んで2001年に設置。しかし、石材が持ち込まれた経緯は不明という。大坂城で使用されずに放置された石材は数多く、「残念石」とも呼ばれるが、舞子では人知れず園銘石という名でデビューを果たしていた。今後は築城史を物語る証人としても注目されそうだ。(仲井雅史)

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