世界のミムラ
世界のミムラ~シューズ名工の軌跡(6)緊急措置
これまでに9大会の夏季五輪に関わってきたシューズ職人三村仁司(67)が唯一、涙した大会がある。1992年のバルセロナ五輪。かすむ目の先には女子マラソン銀メダリストの有森裕子がいた。
実は有森はメダルどころか、完走すら危ぶまれる状態だった。
-
世界のミムラ~シューズ名工の軌跡(12)「地元貢献」
2016.08.13 -
世界のミムラ~シューズ名工の軌跡(11)「後継者」
2016.08.12 -
世界のミムラ~シューズ名工の軌跡(10)「父と子」
2016.08.11 -
世界のミムラ~シューズ名工の軌跡(9)ファミリー
2016.08.10 -
世界のミムラ~シューズの名工の軌跡(8)競技を超えて
2016.08.09 -
世界のミムラ~シューズ名工の軌跡(7)金メダル
2016.08.08 -
世界のミムラ~シューズ名工の軌跡(6)緊急措置
2016.08.07 -
世界のミムラ~シューズ名工の軌跡(5)五輪への挑戦
2016.08.06 -
世界のミムラ~シューズ名工の軌跡(4)試行錯誤
2016.08.05 -
世界のミムラ~シューズ名工の軌跡(3)1番になる
2016.08.04







