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播磨、美作、備前の3国の境に位置し、さらに北の因幡国とも近い兵庫県佐用町は、さまざまな時代において交通の要衝とされてきた。そのためか、赤松氏の一族による中世の山城を中心に、町内には50近くの城跡が残るとされる。戦国時代には、西国攻略を進める織田方と、中国地方を支配する毛利方が、播磨の地をめぐって激しく衝突。佐用の山城が度重なる攻防戦の舞台となった。(勝浦美香)
攻防戦の流れに沿って、佐用町内に点在する山城を紹介したい。天正5(1577)年、織田信長が羽柴秀吉に播磨侵攻を命じる。秀吉は11月、毛利方の最前線とされていた上月城(現在の同町寄延)を標的とし、佐用へ攻め込んだ。
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