深ヨミ

1945(昭和20)年

2021/08/11 12:30

※記事中、太字の記述は当時の新聞紙面から引用しました(言葉遣いは一部わかりやすく変えてあります)。また撮影場所の住所表記は、当時の表記に準じています。



1終戦


日本人らしく万難に耐えん


(8月16日掲載)【場所:兵庫県内】



「瞳には大粒の落涙がぼうだとして大地をぬらす」。8月15日正午から終戦を告げる天皇の玉音放送がありました。人々は当時まだ少なかったラジオの前に集まり、日本の敗北を知りました。


「苦しいいばらの道への第一歩を踏み出すのだ。たじろいでいてはならぬ。正しく次代への希望の道へまい進しなければならないときなのである」。記事は悲しみに浸る間も惜しむかのように、復興への奮起を促しています。



新閣僚の発表に新しき希望に燃ゆる県民


(8月18日掲載)【場所:兵庫県内】



8月17日、戦後復興を担う東久邇宮内閣が成立し、人々が壁に張り出された神戸新聞特報の閣僚名簿に見入っています。「この内閣の下一億国民は固く強く手を握って新日本の再建復興にまい進しよう」「神戸市民は『挙国一家』の旗印の下に与えられたる職場に精進しあらゆる不自由、苦悩に耐え物資の増産へ食糧増産の遂行に努力することを誓った」。




【動画】1945年のできごと





2食糧増産


土に挑む農兵隊不屈の敢闘


(8月19日掲載)【場所:兵庫県内】



一心に鍬をふるう若者と馬で耕作する勇壮な風景が強い印象を与えます。戦争は終わったものの食料不足は戦争中から続いていました。平和の到来を喜ぶより食糧増産に力を尽くす決意や悲壮感さえ漂っています。「食料の不足がちなことはだれよりも一番よく知っているのだ。少ない食料をきりもりしていく農民の責務は重いのだ」。


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