※記事中、太字の記述は当時の新聞紙面から引用しました(言葉遣いは一部わかりやすく変えてあります)。また撮影場所の住所表記は、当時の表記に準じています。
生田筋
写真上は明治7(1874)年の生田筋です。鳥居の奥両側には桜並木が見えます。江戸時代から明治初年にかけて山道の桜並木は海岸まで約880メートル続き、17メートルごとに石灯籠が立っていた。「梅は岡本、桜は生田、松のよいのは湊川」とたたえられ、付近に馬場があったことから「馬場じゃ馬場じゃといわんすけれど生田の馬場は花ざかり」という俗謡もあった。写真下にも石灯籠は残っていますが、200軒を超えるキャバレーやバーが林立する繁華街に変わりました。
湊川新開地
写真上は明治中期の新開地です。右に写っているのは河岸に松林が生い茂る旧湊川。河岸にはもうせんを敷いた茶店が並び人力車が走っています。この旧湊川を明治38(1905)年に埋め立てたのが新開地本通り(写真下)です。当時は商店が建ち並ぶ神戸一の繁華街でした。
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