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赤松氏の城跡として国史跡に指定されている感状山城跡(兵庫県相生市矢野町)は、南北朝時代の14世紀前半に赤松円心の三男則祐(そくゆう)が新田義貞軍の猛攻を食い止めた拠点と伝えられてきた。しかし、出土品にこの時代の遺物はなく、そもそもここは城なのかという根本的な疑問も浮上している。それではいつ、何のために築かれたのか-。前回に続き、山城研究家の山上雅弘さん(63)=県まちづくり技術センター技術専門員=の案内で遺跡を歩き、謎の解明に挑む。(記事・田中伸明、写真・大山伸一郎)
感状山城跡は果たして城なのかという疑問点は、本丸跡の北側を見れば分かる-。山上さんはそう言って勢いよく尾根筋を下り始めた。あわててついて行く。
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