ウクライナ南部の港町、オデッサで生まれ育った日本人の男性が今夏、神戸に避難してきたウクライナ人の支援ボランティアに励んだ。5月に里帰りした故国は戦禍にさらされ、幼なじみの友は戦死した。ロシアの軍事侵攻から半年。「日本とウクライナをつなぐ架け橋になりたい」と話す男性は今、何を思うのか。
■ウクライナの「純日本人」
船越勇貴さん(22)は2000年、オデッサで生まれた。首都キーウにある日本大使館の職員は、出生届を書いた両親に「ウクライナで生まれた初めての『純日本人』ですね」と祝福した、と聞いた。両親ともに日本人で、父はキリスト教の牧師。兵庫県加古川市の教会から1995年にオデッサに派遣され、現地で問題化していたアルコールや麻薬依存症のリハビリ施設や孤児院を建てて運営していた。
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