(6)話し合うことから始まる
2020/05/08 10:30
オランダで安楽死が根付いた理由を話すシャボットあかねさん。自宅は日本の文化が感じられる=オランダ・ユトレヒト州アメルスフォールト
オランダの首都アムステルダムでの取材を終え、私たちは再びユトレヒト州アメルスフォールトにいる。今回の取材の通訳を引き受けてくれたシャボットあかねさん(72)の自宅で、リビングのソファに座って話を聞いている。
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(4)やり残したことを終える
(5)治療より「大切なこと」は
シャボットさんは東京出身で、18歳まで日本で暮らした。結婚を機に1974年、オランダに生活の場を移す。
安楽死に関心を寄せたのは94年のことだ。日本のテレビ局の取材に同行し、深く掘り下げるようになった。翌年には書籍を出版している。
シャボットさんが、オランダで安楽死が根付いた背景を説明してくれる。
日本が経済成長に重きを置いていた60年代、オランダでは「個人の生活の質を高めよう」という機運が生まれた。
一人一人に自由な時間ができ、個人主義の考えが育つ。「自分のことは、自分で決めた時に自分の思うようにしたい。今も、そういう考え方が根強くあるんだよね」と、シャボットさん。
家庭医制度の存在も大きいそうだ。病気にかかったり、けがをしたりすると、必ず地域にいる家庭医の診察を受ける。安楽死の希望も伝える。
「長い間、患者と医師の関係は続きます。安楽死の相談をすることで、最期まで自分の面倒を見てもらえるという安心感が得られます」
日本では、安楽死を巡る議論がなかなか深まらない。シャボットさんは「不確かさを認めたくない雰囲気を感じます」と印象を口にする。
「『間違った選択になるかも』『念には念を』という心配や慎重さがあるのかな。昔は切腹があって、日本の方が自死の伝統は長いのにね」。そう言って笑う。
最後に、シャボットさんが描く自らの終(しま)い方に触れたい。家庭医には安楽死を考えている、とは伝えている。「苦痛が出た時に備えて希望しています」。理想は苦しまず、自然なまま迎える死という。
「安楽死を選びたいかどうかを考え、人に伝える。そのことが、家庭医や家族らと自分の最期について話し合うきっかけにはなりました」
シャボットさんの言葉に私たちはうなずいた。
自ら死を選ぶのか、それとも寿命を全うするのか。身近な人と人生の終い方を話すことが、思い描く死へ向かう第一歩なのかもしれない。そんな感慨とともに、私たちはオランダを離れた。