「良い死」という言葉が引っかかっていた私に、「大事なのは『良い死』ではなく、『良い生き方』だと思います」と話してくれたのは、兵庫県小野市の篠原慶希(よしき)医師(69)だ。
大学病院などでの勤務を経て、2002年に診療所を開いてからは、自宅でのみとりに力を入れてきた。
篠原医師はさらに「死ぬ瞬間は、どうでもいいんです」とまで言った。自身が大切に考えているのは、それまでのプロセス(過程)だと。
「最期まで希望を持って生きられたらいいんです。希望がかなえば、『良かったー』『もうええわ』って、生きる力を抜く。人はそれで死ねるんじゃないですか」
◇ ◇
最期の希望って何だろう。
疑問に思う私に、篠原医師が例を挙げる。家に帰りたい、痛みを取ってほしい、旅行に行きたい、一杯飲みたい…。昨年、篠原医師の往診に同行し、写真を撮影させてもらった元中学校教諭の男性(91)の話になった。
男性は今年5月初め、老衰で亡くなったという。篠原医師とは20年近い付き合いで、「家で死にたい。そのときはよろしゅう、お願いします」と言っていたそうだ。
男性は入院先から自宅に戻り、9日目に体調が急変した。駆けつけた篠原医師の呼び掛けに目を開け、再び目を閉じた約1時間半後、息を引き取った。
後日、自宅を訪ねた篠原医師に、妻は「すーっと、逝ってしまいました」と言った。安らかな旅立ちだった。
◇ ◇
篠原医師はこの1年で46人の死にかかわったという。開院以来では847人を数えるそうだ。そんな篠原医師と対話しながら考える。できることなら私も、最期は希望を持って生きたい。どうすればいいだろう?
「自分は必ず死ぬと、悟ることじゃないですか。そうすれば死が現実味を帯びた時、過ごし方が変わるかもしれない。『死ぬのは嫌や』ばかり思っていたら、死が恐怖になる。苦しむだけです。あなたも最初は死を知らなくて、驚きながら取材をしていたでしょう?」と篠原医師。その通りだ。
取材を進めながら、自宅や緩和ケア病棟、ホームホスピスなど、みとりの場所には選択肢があることが分かった。「希望ある最期」の存在も。
私もいつか死ぬ。その時、力を抜いて「まあ、良かったかな」と思える生き方ができればいい。(中島摩子)
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