文通7年、痛み共有 1・17被災女性が「東日本」被災女性と
2019/01/31 06:30
宮城県石巻市から届いた手紙を前に語る堀越明美さん=神戸市垂水区北舞子2
阪神・淡路大震災で被災し、復興住宅で暮らす神戸市垂水区の堀越明美さん(78)には、同年代のペンフレンドがいる。東日本大震災で自宅が全壊した宮城県石巻市の阿部栄子さん(77)。被災地支援団体の呼び掛けで、同市の仮設住宅に年賀状を出したのをきっかけに文通が始まった。バレンタインデーにはチョコレートを送るなど交流を深め、堀越さんは「一度も会ったことはないけど、昔からの友だちみたい」と目を細める。(上田勇紀)
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友チョコです。召し上がってくださいね。
1月下旬、神戸市垂水区の復興住宅・北舞子第4住宅の一室で、堀越さんは手紙を書いた。今年もチョコレートを阿部さんに送る。
始まりは東日本大震災が起きた2011年の年末だ。被災地にメッセージを届ける「アジア・アフリカ環境協力センター(アセック)」に協力し、石巻市の仮設住宅に年賀状を送った。
私も神戸長田で震災にあい住む家をなくしました。皆さまも今大変でしょうが必ず幸せが来ます。信じてください。
「誰に届くか知らなかったけど、分かり合えると思った」と堀越さん。翌年1月、阿部さんからお礼を記した年賀状が届いた。
堀越さんは「仮設のみんなで食べて」とチョコレートを送った。2人は互いの近況を知らせたり、サクラの開花を伝えたりして文通を重ねた。
「苦しい話はほとんど書かない。だんだん普通の友だちになったの」。3月にはイカナゴのくぎ煮、9月の阿部さんの誕生日には花を贈った。
15年秋に阿部さんは仮設を出て、長男夫婦と暮らし始めた。手紙には、再建された自宅の写真が添えられていた。
庭の花たちは仮設にいた時に育てたものです。これから大きくなるでしょう!!
文面ににじむ前向きなメッセージにほっとした。自身の歩みが重なった。
1995年1月、阪神・淡路大震災で、堀越さんが夫と暮らした神戸市長田区名倉町の自宅は全壊した。大工仕事が得意だった夫らが屋根にビニールシートを張って修理し、近所の被災者も受け入れた。断水し、食料も届かない。限界だった。「誰かに『頑張りよ』と言われて『これ以上、何を頑張るんよ』と思った」
何度も抽選に外れ、復興住宅に入居できたのは98年。安心したのもつかの間、翌年には夫を病気で亡くした。それからは1人暮らし。住宅の喫茶や食事会、朝市のボランティアを手伝うようになり、少しずつ前を向けた。
石巻市の別の家族とも文通する。「経験があるから、手紙には『頑張れ』とは書かないの」と堀越さん。「いつか会えたらいいな」と穏やかな表情を見せた。