阪神・淡路大震災で妻と三女を失い、男手一つで2人の娘を育ててきた兵庫県西宮市今津水波町の調理師、高橋昭彦さん(56)が、京都市西京区の清水純子さん(72)と文通を続けている。娘の誕生日などに贈り物を届ける「京都のあしながさん」。面識はなく手紙のやりとりを震災後続けてきたが、2人とも「20年の節目なのでぜひ会いたい」と願う。(増井哲夫)
高橋さんは、震災で当時住んでいた西宮市上甲子園3のアパートが倒壊。妻ちか子さん=当時(39)=と三女万利恵ちゃん=当時(4)=が亡くなった。当時春風小1年の長女利美さん(27)ら娘2人を連れ小学校や公民館に数カ月避難。その後、公園の仮設住宅で3年間暮らした。
清水さんは1995年4月、避難生活する高橋さん一家の新聞記事を見つけた。「父親一人では大変だろう」と、手製の給食袋とナプキンを高橋さん宛てに小学校へ送った。高橋さんは生活が落ち着いた数年後、添えられた手紙の住所に返礼。以来、文通で近況を伝え合うようになった。
娘の誕生日やクリスマス、マフラーや髪飾り、かばんなどが届いた。いずれも女の子が気に入りそうなデザイン。「娘の好みが分からない」という高橋さんにはありがたかった。
思春期を迎えた娘の気難しさに悩む高橋さんの手紙に対し「女の子は多感だから気を配って」「寂しい時があるから気づいてあげて」などと助言。高橋さんは「母親ならできることができなかった。本当に助けてもらった」と振り返る。
昨年6月、新居を持ち、6年前に結婚した利美さん一家と一緒に暮らす。家事は利美さんに任せた。「煮物は母親並みに上手になった」と高橋さん。そんな姿を伝えると、清水さんの手紙にはうらやむ言葉がつづられた。
17日は「西宮震災記念碑公園を訪ねたい」と清水さん。高橋さんも「長いお付き合いなので一目会いたい」と話す。

