東日本被災地で活動、痛感した備えの大切さ 若手に教訓伝える消防職員

2022/03/11 05:30

当時の写真を見返し、教訓を語る宗則悦夫さん=姫路市防災センター

 東日本大震災は11日、発生から11年を迎える。兵庫県姫路市消防局警防課の宗則悦夫さん(49)は震災の4日後、宮城県南三陸町に入り遺体の捜索に当たった。夜は活動拠点のテントで寝袋に入っても寒く、食事は非常食のおかゆと乾パンに偏った。心身を休ませられない活動で痛感したのは備えの大切さだ。今も若手職員らに「災害は絶対に起こると考え、日頃から準備しないといけない」と伝える。(田中宏樹) 関連ニュース 「娘にミルクを…」言えなかった日本語 東日本大震災経験、フィリピン出身女性が通訳ボランティアに 福島第1原発事故11年 インフラ復興進むも住民帰還かなわず 「ありのままを見る」被災地ツアー 家庭の非常食備蓄日数、震災後初の3日分超え ウェザーニューズ調査


 宗則さんは当時、市消防局の救助隊に所属。県の緊急消防援助隊として被災地へ向かい、3月15~19日に活動した。石巻市に拠点を構え、消防車両で約50キロ離れた南三陸町との間を往復した。
 スコップを手に、津波にのまれた地域を歩いて捜索した。ほとんどの建物が流され、救助用具のチェーンソーを使う場面もなかった。無力感に襲われ、気付けばがれきからアルバムやランドセルを取り出していた。「その行動で自分の心を落ち着けるしかできなかった」
 石巻の拠点に戻っても食事のメニューは限られ、テントでは姫路から派遣された同僚と雑魚寝した。かっぱを身に着け、寝袋を二重にしても夜の寒さはしのげなかった。宗則さんは「寒さへの対策や食料など、しっかり休みながら活動するための準備が不十分だった」と振り返る。
 姫路では南海トラフ地震や山崎断層帯地震による被害が想定されている。市消防局は宮城での経験を踏まえ、活動拠点となるテントで使う冷暖房器具や段ボールを組み立てる簡易トイレなどを購入し、非常食のメニューも増やした。
 「災害は忘れなくてもやって来る。準備があれば、発生時のパニックを防げる」と力を込める宗則さん。「家庭でも災害時の連絡方法や避難場所について共通の認識を持つなど、備えが大切。震災11年を機に家族で話し合ってほしい」と呼び掛けた。

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