「私が通訳ボランティアを始めたのは、東日本大震災がきっかけです」。フィリピン出身の西村ベラスマリノグさん(41)=兵庫県三田市=は、流ちょうな日本語でそう説明してくれた。英会話講師として働き、娘を育てる傍ら、篠山国際理解センターなどで来日外国人に寄り添う。11年前、避難所で「娘のミルクがほしい」と言えなかった経験が活動の原点だ。(真鍋 愛)
「東日本大震災では言葉の壁を痛感しました」
西村さんは約5年前から、通訳ボランティアを始めた。活動拠点は、篠山国際理解センター(同県丹波篠山市宮田)と三田市国際交流協会(同市駅前町)の2カ所。来日外国人向けに日本語のチラシをフィリピン語に翻訳したり、子どもたちに簡単な日本語を教えたりしている。
「生き残ったからには、困っている外国人を助けたい」との思いからだ。
◇
フィリピンで出会った日本人男性と結婚して、2005年に来日。日本語はあいさつ程度しかできなかった。
夫の転勤に伴い、東京から仙台市に転居。09年に娘が生まれると「子どもを育てるには日本語を覚えないと」と、新聞やポスティングされた雑誌を使って勉強した。日本語での会話にまだ自信がなかった11年、東日本大震災が起きた。
あの日、群馬県の友人を訪ねようと、娘を乗せて車を走らせていた。自宅を出て10分ほどたったころ、前方の車がハザードランプをつけ、次々と道路脇に止まった。「何だろう」。不思議に思いながら停車すると、地面が揺れていることに気付いた。娘が座席を蹴っている振動だと思っていた揺れは、地震だった。
信号機が一斉に消えた。携帯電話で夫に連絡しようとしたが、通じなかった。揺れが収まっても車列は大渋滞で動く気配がなく、訳も分からないまま待機した。何時間かが過ぎ、警察官と自衛隊員が水を配り始めた。残り少ないガソリンを気にして暖房も使えず、凍えながら車中で夜を明かした。
翌日、近くの避難所に身を寄せ、ストーブで暖を取ることができた。ラジオから流れる日本語は聞き取れなかった。娘のミルクとおむつがほしかったが、日本語で何と言えばいいのか分からなかった。
「横の人に娘の夜泣きを『ごめんなさい』と謝りたかったけど、日本語に自信がなくて何も言えなかった」。約1週間後、迎えに来た夫に代わりに謝ってもらった。
◇
今月5日、西村さんは三田市国際交流協会が企画した「外国人市民防災訓練」に通訳として参加した。
11年前は自信がなかった日本語も、意識的に毎日誰かと会話するうち、飛躍的に上達した。娘が通った幼稚園と小学校では、PTA役員を務めたほどだ。
防災訓練では、毛布を使った簡易担架の作り方や、119番通報のやり方などを、フィリピン出身の参加者に説明した。女性の1人は「大阪北部地震では何が起こったか分からなくて、裸で外に出ちゃった」と振り返り、「ベラさんに説明してもらって、けが人の搬送方法などがよく分かった」と話した。
働きながら子育てをしてのボランティア活動に、西村さんは「正直、大変。でも、あなたがいてくれて良かった、助けてくれてありがとう、と言われると、やる気が出る。これからも言葉で困っている人たちを助けたい」とほほ笑んだ。

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