明石歩道橋事故から20年 負傷者の証言でたどる「あの日」

2021/07/21 05:30

花火の見物客らで混雑する歩道橋。事故の約1時間前に近くの住民が撮影した=2001年7月21日

 2001年夏に起きた兵庫・明石歩道橋事故は、21日で発生から20年となった。当日の状況を当時、取材した負傷者の証言などから再現する(年齢、肩書などはいずれも発生当時)。(小西隆久) 関連ニュース 歴史的訴訟5件は記録を永久保存 尼崎公害や明石歩道橋事故など 神戸地裁、廃棄問題で制度改変以前 明石歩道橋事故から23年 風化遅らせ再発防止を 犠牲者悼み遺族ら献花 明石歩道橋事故23年 遺族ら再発防止願い犠牲者追悼「できることをやっていく」

■午後6時 集まり始める花火客
 この日は朝から快晴。日中の最高気温は36度近くまで上がった。「明石市民夏まつり」の2日目で、会場は前日の県立明石公園から大蔵海岸通の人工砂浜に移った。約180の夜店が並び、花火客が集まり始めた。
■同7時ごろ 密集度増す橋の中央部
 会場の最寄りとなるJR朝霧駅は既に大混雑。「ホーム上にあまりに人が多くて、朝霧駅で降りることができず、次の舞子駅で降りた」(高校3年女子生徒、17歳)という人も。改札をくぐり、歩道橋に着くまでに時間がかかる状態になっていた。
 花火の打ち上げ開始時刻を前に、多くの花火客が歩道橋を目指す。当初は「まだベビーカーでも通行できるほどだった」(主婦、40歳)が、7時半ごろから橋の中央部分では密集度が増していく。
■同7時45分 花火の打ち上げ始まる
 花火の打ち上げが始まった。橋の海岸側に近づくにつれ、圧迫感が増す状態に。「半分あたりに来るとほとんど動かなくなり、進んでも10センチほどで怖くなった」(女性、42歳)。親子連れがベビーカーをたたんだり、小さな子どもを肩車したりし始める。
■同8時~8時半ごろ 行きと帰りで押し合いに
 花火が終わりに近づくにつれ、帰路に就くため駅に向かおうと、橋の海岸側から階段を上ろうとする見物客の流れが起きる。「混む前に帰ろうと浜側の階段を上ったが、真ん中部分で止まった」(女性、65歳)。「相反する二つの群衆は相互に対抗し合ってその密度が1平方メートル当たり13人を超えた」(明石市事故調査報告書)。気温が上昇し、酸欠状態になる人も出た。
■同8時31分 「子どもが息をしていない」
 花火が終了。「子どもが息をしていないという声を聞いた」(主婦、34歳)。橋の屋根に登り、子どもを引き上げていた男性会社員(37)は「下はパニック状態。とにかく人がぎゅうぎゅうで大人の顔しか見えなかった」。橋の上では「戻れ」の声が一斉に上がる。
■同8時45~50分ごろ 失神、転倒相次ぎ群衆雪崩
 橋の北側から南にかかった圧力で失神、転倒する人が相次ぎ、群衆雪崩が起きる。「西向きの体が左肩を下にして倒れた。男の人が2人くらい私の上に乗っていて、自分の下には50歳くらいの女性がいた」(主婦、48歳)。「橋を半分ぐらい渡ったところで(人の密度で)息苦しくなり、『なんとかして』と半透明な外壁を何度もたたいた」(女性、57歳)
■同9時ごろ 消防ら負傷者の救出開始
 消防や県警機動隊員らが現場に到着し、負傷者らを救出し始める。「倒れてしばらく失神していたらしく、『大丈夫ですか』の声で気付いた。体に乗ってる重みが少しずつ軽くなっていくのを感じた」(高校2年男子生徒、16歳)「踊り場で子どもを抱き上げ、階段を下りた。救急車に乗って病院に行った」(男性会社員、31歳)
■同9時17分ごろ 長机に10人ほどが横たわり
 駅北側のロータリーに救護所が設置され、神戸、同県加古川市の消防にも順次、応援要請が入る。駅の南側も混乱しており「長机をベッド代わりにして10人ほどが横たわっていた。既に意識がなく、重篤な状態だった」(消防隊員、52歳)
■同10時50分 最後の負傷者を搬送
 消防が最後の負傷者を搬送。この事故で死者は11人、負傷者は247人に上った。
    ◇    ◇
 刑事裁判では、在宅起訴された当時の明石署幹部や市幹部、警備会社関係者ら計5人の有罪が確定した。一方、署長(07年に死去)、副署長を不起訴とした地検の判断をめぐり、検察審査会が計3回「起訴相当」を議決。全国初の強制起訴となったが、裁判所は公訴時効を理由に裁判を打ち切る「免訴」を言い渡した。

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