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身をていして命を救ってくれた草替律子さんの名前が刻まれる慰霊碑を見つめる山下翔馬さん(右)と母の佳奈さん=14日夜、明石市大蔵海岸通1、朝霧歩道橋(撮影・秋山亮太)
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身をていして命を救ってくれた草替律子さんの名前が刻まれる慰霊碑を見つめる山下翔馬さん(右)と母の佳奈さん=14日夜、明石市大蔵海岸通1、朝霧歩道橋(撮影・秋山亮太)
命を救ってくれた草替律子さんの名前が刻まれた慰霊碑の前に立つ山下翔馬さん(右)と母の佳奈さん=明石市大蔵海岸通1、朝霧歩道橋(撮影・秋山亮太)
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命を救ってくれた草替律子さんの名前が刻まれた慰霊碑の前に立つ山下翔馬さん(右)と母の佳奈さん=明石市大蔵海岸通1、朝霧歩道橋(撮影・秋山亮太)
命を救ってくれた草替律子さんの名前が刻まれた慰霊碑を見つめる山下翔馬さん(左)と母の佳奈さん=明石市大蔵海岸通1、朝霧歩道橋(撮影・秋山亮太)
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命を救ってくれた草替律子さんの名前が刻まれた慰霊碑を見つめる山下翔馬さん(左)と母の佳奈さん=明石市大蔵海岸通1、朝霧歩道橋(撮影・秋山亮太)

■生後2カ月、犠牲者に救われた山下翔馬さん(20)

 歩道橋は、自分を救ってくれた人の家族と再会できる場所。今年20歳になった山下翔馬さん=神戸市西区=に事故の記憶はない。小さい頃から母の佳奈さん(38)に「助けてくれた人がいるから、あなたがいる」と聞かされてきた。

 20年前。佳奈さんは生後2カ月足らずだった翔馬さんと歩道橋で群衆雪崩に巻き込まれた。手からベビーカーが離れ、息子の無事を知ったのは搬送先の病院だった。

 すぐそばには、自分と一緒に搬送された男の子の名前を泣きながら呼び続ける母親がいた。自らもけがを負った佳奈さんは白い天井を見つめながら、「翔馬のこと、素直に喜べなかった」と話す。

 助かった経緯を聞いたのは取材を受けた記者から。事故で亡くなった草替律子さん=当時(71)=が人波に押しつぶされそうなベビーカーから翔馬さんを抱き上げ、近くの人に手渡して力尽きた-と。

 事故の後、わが子のおなかにできたあざに心が痛んだ。「生後間もない赤ちゃんを連れて行くなんて」「これだから若い母親は」と責められた。律子さんの夫、与一郎さん(2015年に死去)が会いたがっていると聞いても、「大事な人を奪った自分がどんな顔をすれば」と気が重かった。

 対面した与一郎さんは「生きていてくれただけで十分」と笑顔で言葉を掛けてくれた。「ありがとうございました」。そう返すのが精いっぱいだった佳奈さんの、ぎゅっとなっていた心がほぐれた。事故後の10年間、律子さんの命日は歩道橋で一緒に手を合わせた。

 翔馬さんにとっても「メロンをくれるおじいちゃん」との再会は楽しみだった。写真の「おばあちゃん」の話を初めて聞いたのは小学5年の時。「自分は死んでいたかもしれない」と考えたことを覚えている。

 中学生になると、生まれたばかりのまだ首が据わらない妹を抱っこした。律子さんから幾人もの手を渡ったという自分を想像した。「大事に扱ってもらったんやな」。記憶にないはずのぬくもりを確かに感じた。

 事故に遭ったことは周囲に隠さない。「おばあちゃんの命と引き換えに僕はここにいる」。生かしてもらった感謝の気持ちがあるから素直に思える。

 高校を卒業後、専門学校に入ったが中退した。6月、知人の紹介で大工に弟子入りした。「何でもないように緻密な仕事をする」という親方のようになるのが夢だ。

 あの日からもう20年。最近、亡くなった与一郎さんが、同じ建設の仕事をしていたことを知った。

 今年の21日は、仕事帰りに作業着姿で母と一緒に花を手向けに行く。「助けてくれたおばあちゃんと、優しく包んでくれたおじいちゃん」に、元気に生きている姿を見てもらうために。(小西隆久)

    ◇  ◇

 花火大会に訪れた子どもら11人が亡くなり、247人が負傷した2001年7月の明石歩道橋事故から21日で20年となる。居合わせた人たちが事故と向き合い続けた歳月を見つめる。

【連載】「あの日を背負って」(中)はこちら

【連載】「あの日を背負って」(下)はこちら

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