深ヨミ

<櫛橋氏の系譜>(下)乱世生き抜き福岡へ

2021/10/16 05:30

 櫛橋氏は代々、播磨守護赤松家の忠臣として、その統治を支えた。15世紀末に志方城を築き、政伊の代まで続いたが、播磨の武将たちと共に織田信長方に反旗を翻し、落城の憂き目に遭う。一族の命脈が絶たれる危機だったが、系譜は福岡でつながっていく。政伊の妹と伝わる光姫が、黒田官兵衛に嫁いでいた。やがて櫛橋氏ら多くの「播磨びと」が福岡に移り、黒田藩を支えるようになったという。(段 貴則)



1伊定の娘 光姫と官兵衛 縁組み


光姫の供養塔の前でも法要が営まれた=福岡市中央区大手門3



 8月下旬、福岡城のそばにある黒田家の菩提(ぼだい)寺・圓應寺(えんのうじ)(福岡市中央区)で、光姫の395回忌法要が営まれていた。


 残り文字数 1372  文字 記事全文 1623  文字

特集記事一覧
PC SP