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「忠臣」といえば、江戸時代の播州赤穂義士、中世の播磨なら守護大名・赤松氏に仕えた櫛橋氏がその名に値するかもしれない。主のために命を懸けるほど主従関係が強固でなかった時代に、戦となれば櫛橋氏の歴代当主が討ち死にした-と指摘する研究者もいる。連載「櫛橋氏の系譜」の初回は、鎌倉幕府の御家人だった櫛橋氏が西へ移り、摂津(現・尼崎)の荘園で「守護の代官」になったと紹介した。今回、舞台は播磨へ。赤松氏の家臣となり、代々、文武両面で献身的に仕えたことが浮かび上がってきた。(段 貴則)
文書の決まり蓄積、代々受け継ぐ
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