2021/12/08 20:00
神戸が焼け野原になった1945年、連合国軍が進駐し、戦災を逃れた公共施設やホテル、百貨店などが接収され、米軍兵士らが闊歩(かっぽ)した。接収の総面積は約61万坪(土地)で、その7割が港湾施設だった。
51年のサンフランシスコ講和条約の発効により、段階的に接収は解除されたが、神戸港新港第6突堤は長く米軍基地として使用され、第5突堤には空母が頻繁に入港した。朝鮮戦争では、武器弾薬、食料などが積み出されるなど、神戸港は軍港の趣が色濃かった。
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