-このドラマへの出演が決まったときの感想を
15年前の実話で、実在の人物を演じる。普通のドラマと向き合い方が違うものだった。震災で被害を受けられた方々に対して、ドラマをやることでフラッシュバックさせてしまう瞬間もあるだろうし。
また、出演が決まってからいろんな人に「私、神戸出身なんです」と言われ、震災のことを話してもらったりした。15年たっても、まだ傷跡が残っているんだと再認識した。
-被災した新聞社のカメラマン役については
いつかは演じてみたかった新聞記者・カメラマン役だったので、思い入れはかなりあった。ただ新聞社の組織などでわからないことも多く、紙面をレイアウトする整理部の役割とかは神戸新聞の会社紹介のDVDを見て知った。
-撮影で印象に残ったシーンは
食堂が倒壊して娘さんが運ばれていく現場で、主人公がカメラを構えて「撮れない」と葛藤(かっとう)するシーン。形は違うが北京五輪を取材した際、負けた選手にどう声をかければいいのか悩んだ。どうしても傷つけてしまう面があるし、一方で伝える役割も求められている。その経験も思い出し、震災現場での記者の葛藤を、少しだが理解することができた。
また、神戸新聞と京都新聞との友情、結びつきの強さも印象的だった。京都新聞を訪ねるシーンで、まず部屋のきれいさに驚いた。わずか数十キロしか離れていないのに、この違いは何だと。次に京都新聞の人たちが「好きなように使ってください」「大丈夫ですか」と言ってくれて、その温かさを心強く思った。
-キャスターなど「伝える役」として、このドラマを経験して感じたことはあるか
なんのためにやってるんだ、誰のために伝えるんだ-というセリフがすごく頭に響いている。テレビの向こう側、僕の背中の後ろ側にいる人たちへ向けて伝えていくということを強く意識した。
-全体を通して、このドラマに対する印象は
今回、震災のさまざまな映像資料を見た。撮影現場でそれが再現されて「これが現実なのか」という衝撃は強かった。当時は中学1年生で、東京でニュース映像も見てはいたが…。こんなことが本当に起こってしまったんだという事実の大きさを突き付けられた。
-震災15年の前夜に放映される。被災地の人々へのメッセージを
神戸の皆さんのパワーを知った。復興にしてもものすごい早さで立ち直った。一方で、今も心の痛手が癒えていないことをあらためて感じた。受験の年で行きたい学校に行けなかったとか、震災で人生が大きく変わった人も多い。知らなかったことをたくさん知ることができた。
僕らを応援してくれている小中学生の子どもたちにも、15年前にこういうことがあったことを知ってもらい、いつか来る災害に備えてもらえればと思う。
(聞き手・太田貞夫)
2010/1/16