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赤松円心から数えて5代目に当たる満祐(みつすけ)(1373~1441年)は、最も評判の悪い当主の一人だろう。何といっても将軍足利義教(よしのり)を幕府の重臣らの目の前で暗殺し、惣領家(そうりょうけ)の滅亡を招いたことが大きい。後世の評価も「下克上の始まり」など悪評ふんぷんだが、それは正しいのだろうか。4代目の父、義則(よしのり)(1358~1427年)の時代と比較しながら、満祐の実像を探った。(田中伸明)
満祐の父、義則の時代は歴代当主の中で最も安定していたといえる。播磨、備前、美作3国の守護として支配を固め、将軍家との関係も良好だった。
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