目次(クリックでご覧になれます)
赤松本家(惣領(そうりょう)家)を再興した赤松政則が急死した後、播磨など3国の守護を継いだのは赤松七条家から養子に入った義村(?~1521年)だった。若年だったため、しばらくは姑(しゅうとめ)の洞松院(とうしょういん)が守護職を代行するが、独り立ちした後は執行機関を強化し、本格的な政治を目指した。しかし、有能だったがゆえに姑や家臣と対立し、悲劇的な死を迎える。わずか数年で終わった婿養子の治世を振り返る。(田中伸明)
「武家の養子はつらいんですよ。七条家にいた方が幸せだったかもしれない」。赤松氏の歴史に詳しい依藤保さん(72)=兵庫県加東市=は義村に同情する。
残り文字数 1625 文字 記事全文 1906 文字