深ヨミ

<赤松氏の血脈>(6)義村 姑と対立した有能な養子

2021/09/11 05:30

 赤松本家(惣領(そうりょう)家)を再興した赤松政則が急死した後、播磨など3国の守護を継いだのは赤松七条家から養子に入った義村(?~1521年)だった。若年だったため、しばらくは姑(しゅうとめ)の洞松院(とうしょういん)が守護職を代行するが、独り立ちした後は執行機関を強化し、本格的な政治を目指した。しかし、有能だったがゆえに姑や家臣と対立し、悲劇的な死を迎える。わずか数年で終わった婿養子の治世を振り返る。(田中伸明)



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1独自路線で本格政権目指し家臣とも決裂


 「武家の養子はつらいんですよ。七条家にいた方が幸せだったかもしれない」。赤松氏の歴史に詳しい依藤保さん(72)=兵庫県加東市=は義村に同情する。


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