深ヨミ

<赤松氏の血脈>(8)(最終回)則房 播磨守護の権威強調

2021/09/25 05:30

 赤松政村(晴政)が子息義祐(よしすけ)に追われた後、赤松氏本家(惣領(そうりょう)家)の衰退はいっそう進む。義祐の子息で最後の当主となった則房(のりふさ)の時代になると、支配力を及ぼす地域は狭まり、もはや播磨守護とはいえない存在となった。一方で、赤松氏の血脈が途絶えるまで、その権威は保たれたという見方も根強い。最終回では、龍野赤松氏の最後の当主、広英(ひろひで)と共に、赤松氏が最後に放った光を追う。(田中伸明)



神戸新聞NEXT



神戸新聞NEXT




1置塩城に大規模施設を整備


 嘉吉(かきつ)の乱で滅び、家臣らの奮闘で復活した赤松氏惣領家は後期赤松氏と呼ばれる。その権力は再興を果たした政則(まさのり)の頃が頂点で、以後は衰える一方だったというのが通説だ。


 残り文字数 1650  文字 記事全文 1946  文字

特集記事一覧
PC SP