目次(クリックでご覧になれます)
南北朝時代から戦国時代にかけて播磨守護を務めた赤松氏の家臣で、当主が代々、戦で討ち死にした一族がいる-。連載「赤松氏の血脈」の取材で、こんな逸話を聞いた。家臣の名は櫛橋(くしはし)氏。そういえば、赤松氏ゆかりの白旗城跡(兵庫県上郡町)には、本丸近くの頂に「櫛橋丸」という名で伝わる区画がある。ただ、一族について記した資料が少なく、櫛橋氏に由来するのかさえ定かではないという。謎に包まれた赤松氏の“忠臣”とは、どんな一族だったのか。櫛橋丸跡を起点に、その系譜をたどり始めた。(段 貴則)
合戦や実務面で貢献
残り文字数 1439 文字 記事全文 1706 文字