安楽死や自死など自身の選択で人生を終えた人たちを見つめる連載「わたしの終(しま)い方」に、読者からメールや手紙が届いています。
安楽死や医師による自殺ほう助は日本では認められていませんが、関心を寄せる人は多いようです。
「この先、身体的に苦痛しかないと分かった時点で、どうして自分自身の終わりを決めてはいけないのか。選択肢の一つとして制度を設けてもらいたい」。安楽死を肯定する読者のメールにはこう書かれていました。「凝り固まった考えや既成の習慣に縛られることがなくなることを望む」ともあります。
別の読者はこう記します。「痛みや苦しみは、親子であっても、夫婦であっても、本人にしか分からない。自分の人生は、周りに迷惑をかけなければどんな選択をしてもいいと思います」
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医学部に通う男子学生は、安楽死に反対の意見を寄せてくれました。メールには「医師であっても、誰かの人生を終わらせるという行為はいけないと思う」とあります。
「実際に終末期の苦痛に苦しむ患者さんを目の前にした時、どう思うのかは分からない」としつつも、伯母が入院した当時を振り返り、「少しでも長く生きてほしいと思った」とつづっています。
「実際に医師になった時、自分が故意に人を殺してしまうことに耐えられないと思う」と、素直な気持ちも打ち明けてくれました。「日本では尊厳死という方法が取られており、無意味な延命だけを目的とした治療から変わりつつある」とし、「苦痛から逃れるために安楽死を選択する必要はないと思う」と締めくくられています。
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最後に、母が自死したという姫路市の60代女性の手紙を紹介します。
17年前、仲たがいしていた母は遺書を書き、山に入ったそうです。がんを患っていました。6年後、山中で母の骨が見つかります。近くにはさびた刺し身包丁と風呂敷、そして女性がプレゼントしたグレーの靴がありました。
警察に遺骨を引き取りに行った時、女性は長男から「お母さんは絶対にしたらあかんで」と言われたそうです。女性は妹と一緒に、遺骨を子ども用の小さなひつぎに入れて見送りました。それまで何度も母の夢を見ていましたが、今では両親の夢はほとんど見なくなったということです。
私たちは女性に電話をかけ、少し話をしました。妹は2年半前に亡くなったそうです。当時を振り返った女性は「誰かに話を聞いてほしかったんです」と話していました。
★次回は最終回です。
2020/5/19