朝来の歴史が見える | 「ふるさとの光」発見プロジェクト in 兵庫 -兵庫県朝来市-
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朝来の歴史が見える~人々の生活のそばで静かに息づく、朝来の歴史の奥深さを知る~ 朝来の歴史が見える~人々の生活のそばで静かに息づく、朝来の歴史の奥深さを知る~

JR播但
(播但鉄道の歴史、「佐中の千年家」)

選定:安東 明美さん
安東 明美さん

私の父方の祖父は食料雑貨店を営んでいたのですが、姫路の卸売市場に魚を仕入れに行き、「JR播但線」で運び田舎で売っていました。また、私は姫路市内の高校に通っていたので、毎日の電車通学でお世話になっていました。地域の交流の大動脈となるJR播但線はいつまでも残ってほしいと考えています。また寺前から生野駅までの車窓から見える市川の美しさは例えようもありません。深いブルーの水面が心を洗うようです。

朝来出身の実業家・原六郎をご存じでしょうか。JR播但線の前身である播但鉄道の創設に関わり、当時、渋沢栄一をはじめ日本を代表する実業家の1人として知られた人物です。1842年、豪農・進藤丈右衛門の六男、進藤俊三郎として生まれますが、生野義挙に身を投じたことで、名前を原六郎と改名。戊辰戦争では官軍として参戦するなど軍人としての道を歩んだあとは、欧米に留学し、経済学や社会学を学び、帰国後は第百国立銀行の頭取に就任するなど、日本経済黎明期の発展をけん引しました。この原六郎の生家が「佐中の千年家」です。足利時代から続く名家であり、江戸時代前期に建てられたと考えられています。

佐中の千年家
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住所 兵庫県朝来市佐嚢1283
お問い合わせ 朝来市役所 朝来支所
079-677-1165
お車でのアクセス 播但有料道路 朝来ICより国道429号で約15分
公共機関でのアクセス JR播但線 新井駅下車 タクシーで約15分

山東地域の民家再生
(木村邸)

選定:藤井 啓さん
藤井 啓さん

「木村邸」は明治16年の建築で、142年の歴史があります。大屋根に見ることができる桔梗の紋が示すとおり、あの明智光秀の家来であったと先祖代々言い継がれているそうです。現在、大規模な改築中で、地域活性化の起爆剤となるための計画が進められています。

2つの著名神社
粟鹿(あわが)神社、當勝(まさかつ)神

選定:藤井 啓さん
藤井 啓さん

山東町粟鹿地区に近在する、2つの格式高い神社が「粟鹿神社」と「當勝神社」です。
どちらも大きな森に囲まれ、厳かなたたずまいの由緒ある神社で、互いの距離は700メーターほど。なぜこの距離に大規模神社が建立されたのか、大変興味深いです。粟鹿神社は、古来より朝廷の尊祟が篤く、約600年前には国家の大難に際して4度の勅使が派遣され、そのご加護として勅使門も建てられました。當勝神社の創建は奈良時代の730年と伝えられ、開運繁栄の神、万物造成の神、織物の神が祀られています。多くの彫物もあり、向拝回りの鳳凰、龍、獅子は見事です。

粟鹿神社
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住所 兵庫県朝来市山東町粟鹿2152
お問い合わせ 079-676-2465
お車でのアクセス 北近畿豊岡自動車道「山東IC」から約10分
公共機関でのアクセス JR山陰線「梁瀬駅」からタクシーで約10分

當勝神社
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住所 兵庫県朝来市山東町粟鹿2143
お問い合わせ 079-676-3026
お車でのアクセス 北近畿豊岡自動車道「山東IC」から約5分
公共機関でのアクセス JR山陰線「梁瀬駅」からタクシーで約10分

旧東河村・円明寺(えんみょうじ)
刀我石部(とがいしべ)神

選定:藤原 次郎さん
藤原 次郎さん

円明寺
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住所 兵庫県朝来市和田山町宮250
お問い合わせ 079-672-2739
お車でのアクセス 北近畿豊岡道・和田山ICより約10分

刀我石部神社
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住所 兵庫県朝来市和田山町宮645
公共機関でのアクセス 北近畿豊岡道・和田山ICより約20分

藤原 次郎さん
藤原 次郎さんからのコメント

私は情景(風景)を撮るとき、「なにごとのおわしますかは知らねども忝さになみだこぼるる」という言葉を思い浮かべます。どなたがいらっしゃるかはわかりませんが、ただ有難くて涙がこぼれます、という意味で、西行法師が歌われました。絶景では無くても、特別な時間でも無く、身近にある光景・情景にそれを僕は感じています。前に田圃を撮っていた時に、農家の方に声をかけられました。「なにを撮ってますか?」。僕は「田圃撮ってます」農家の方はきょとん。後日、僕の映像を上映するとき、その方も来られて、ご覧になった後で「私は田圃に毎日行くが、田圃とその周りの風景がこんなに綺麗だとは思わなかった。今度から見るようにする」。

僕は小学生の頃、窓の外の風景を見るのが好きだった。枚田小学校の南側の風景は、はるかに竹田城址も臨められた。手前の小高い山の上はちょうど丸くなっており、ススキの原になっていた。そこに秋の日差しがあたり、紅葉と相まってヨーロッパの風景のように感じた。冬には杉の枝に雪が積もりさながらクリスマスツリー。
身近に「世界」を感じることができた。

僕の育った町は「和田山」という。今、気が付いたのは「田畑や里山と街が和む土地」。すなわち「和田山」という意味もあるのではと気が付いた。そんなわが町の光を少しでも気がついてくれれば幸いである。特に円明寺と刀我石部神社は、僕が生まれた地域の最寄の寺社。恐らく、僕の体のエレメントはこの地の水であり土からの物だろう。寺の石垣の美しさ、神社の池の静けさ。これは、皆さんにも見ていただきたい。でも、あまり有名になられても困るのかな。

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