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届ける使命 経営トップの震災体験(上)ヤマトホールディングス

2020.03.11
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阪神・淡路と東日本の二つの大震災を振り返るヤマトホールディングスの長尾裕社長=東京都中央区銀座2

阪神・淡路と東日本の二つの大震災を振り返るヤマトホールディングスの長尾裕社長=東京都中央区銀座2

阪神・淡路大震災で屋根が落ち、壁が崩れたヤマト運輸六甲道営業所=1995年1月、神戸市灘区(ヤマトHD提供)

阪神・淡路大震災で屋根が落ち、壁が崩れたヤマト運輸六甲道営業所=1995年1月、神戸市灘区(ヤマトHD提供)

 東日本大震災の発生から11日で9年。災害時は生活物資と薬の配送が頼みの綱となる。社会基盤の一翼を担う宅配便と医薬品卸の大手は、いずれも阪神・淡路大震災を経験した兵庫県出身の社長が率いる。事業継続や危機管理の要点を振り返ってもらった。

 宅配便最大手のヤマトホールディングス(HD、東京)は、自らの配送網を一企業だけの事業資産と捉えず、「社会的インフラ」と位置づける。

 その言葉がグループの経営理念に登場するからだ。制定はくしくも阪神・淡路大震災があった1995年の4月。インフラの高度化と派生サービスの創造などを通じて、豊かな社会の実現に貢献することを誓う。

 グループ約20万人を擁するヤマトHDの社長、長尾裕(54)は自社の役割を強く意識し、災害時の事業継続の重要性を説く。それを心に刻んだきっかけが、現場で向き合った阪神・淡路と東日本の大震災だった。

     ◇

 三木市生まれの長尾は95年1月、29歳でヤマト運輸六甲道営業所(神戸市灘区)の所長を務めていた。17日朝は神戸市須磨区の自宅で激震に遭い、西区の実家に妻と長男を預けて出勤。午前8時ごろに営業所に着いた。屋根と壁が崩れ、周りの家屋もつぶれており、「とても集配できる状況でなかった」。所員を帰して翌日再び集まるよう指示。長尾は車で同営業所を管轄する支店に向かい、「全国からの荷物を止めた方がいい」と直訴した。17日中に兵庫県宛ての荷受けの中止が決まった。

 同営業所の機能は一時、神戸・ポートアイランドの集配拠点に集約されるなどし、3月に六甲道で仮営業所を開いた。道路網が寸断する中、配達員らは機動力のある三輪バイクに乗り、家屋の損壊状況や住人の避難先を地図に記して顧客情報を更新して、届け先へ確実に配送するよう努めた。

 しかし、後に経営トップに立つ長尾は、兵庫県全域での営業再開が震災発生から1カ月近く要したことを悔やむようになる。「営業中断が長すぎた。地域や顧客のことを考えるのなら、部分的、限定的にでも、もっと早く再開すべきだった」

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 2011年の東日本大震災では、当時横浜市にあった関東支社の支社長として津波被害を受けた茨城、千葉両県への対応を陣頭指揮した。

 オフィスの中央に白板を置き、全員で共有すべき情報を時系列に記入。従業員の安否や営業所の被害を把握し、群馬県で調達した救援物資を両県に送った。阪神・淡路の経験から「半日先、1日先に何が起き、何が必要になるかを考えて用意しろ」と伝え、営業所を可能な範囲で稼働させた。

 長尾は被災地での集配再開を目指す本社のプロジェクトにテレビ会議で参加。会社の意思決定に力を発揮した。同社は配達できなくても、営業所に訪れた顧客に荷物を渡す形でサービスを復旧。甚大な被害を受けた岩手、宮城、福島県でも発生10日後に業務を始められた。3県では救援物資の輸送にも協力した。

 15年3月。長尾は仙台市であった国連防災世界会議の関連フォーラムに登壇。災害時の救援物資の配送について「事業者と地方自治体が具体的に考えておくことが重要だ」と訴えた。

 それから5年。各地で地震や風水害が相次ぐ。「有事の際、自社を守るだけでなく、物流や製造業のサプライチェーン(部品の調達・供給網)をどう立て直すか。事業継続計画(BCP)を磨き、行政に提案できる水準にまで高めたい」と力を込めた。=敬称略=(大島光貴)