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海飛ぶ船復活、川重総力戦 高速船ジェットフォイル25年ぶり建造

2020.06.24
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海面から船体を持ち上げて航走するジェットフォイル(佐渡汽船提供)

海面から船体を持ち上げて航走するジェットフォイル(佐渡汽船提供)

ジェットフォイルの試験運航に立ち会う関口喜仁・神戸造船工場工作部長(左)ら=神戸市中央区東川崎町2

ジェットフォイルの試験運航に立ち会う関口喜仁・神戸造船工場工作部長(左)ら=神戸市中央区東川崎町2

神戸新聞NEXT

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 川崎重工業(神戸市中央区)は30日、25年ぶりに建造した高速旅客船ジェットフォイル(JF)を、発注元の東海汽船(東京)に引き渡す。主に本土と離島を結ぶ航路に使われるが、需要が限定されるため、今回の建造まで四半世紀の空白が生じた。中韓勢との受注競争が激しく、川重は国内建造を高付加価値の特殊船などに特化。JFもその一環で、再開ではさまざまな技術上の困難を克服した。引き渡しを前に、復活への舞台裏を関係者に聞いた。(長尾亮太)

 川重は1987年、開発元の米ボーイングからJFの製造販売権を取得。95年までに15隻を建造し、離島航路の需要を満たしたため建造を止めていた。しかし2005年前後から、老齢船の更新に備えて運航各社から建造再開を望む声が上がった。

 「船体が小さいのでどんな港にも着岸しやすく、荒波でも安定して進める高速船はJFしかない」(佐渡汽船の担当者)。建造技術や部品調達網を保持したい川重も、関係者が高齢化する中で再開の道を探り、17年6月に東海汽船との契約に至った。

■軽量化と頑丈さ

 「船ではなく、飛行機だと思ってほしい」。建造再開に当たり、設計や建造を担当したOBらを招いて現役社員向けの講義を開いたところ、彼らは口々にこう訴えた。神戸造船工場の関口喜仁工作部長(51)も「実際に造ってみると、OBの言葉の意味が分かった」という。

 例えば水面から持ち上げるために軽量化する船体には、鉄より軽いアルミの薄板を使う。ただ、薄いアルミ板を溶接すると周囲が熱でひずむため、造船では珍しいリベット(びょう)で接合する。担当者5人は航空機部材を加工する名古屋第1工場で技術を学んだ。

 半面、頑丈さが求められる船体下部では溶接するため、鉄道車両のアルミ加工に詳しい兵庫工場からひずみ取りの助言を受けた。ステンレスの厚板を高い精度で削り出して作る水中翼はエンジンの専門部署が担った。関口部長は「部門を超えた協力で完成にこぎつけた」と振り返る。

 アルミの溶接ではベテランの技も光った。熱による収縮を織り込んで板を大きめに切り出すが、今回は調達しやすいアルミ板に切り替えたため、収縮の度合いが従来と異なった。そこで熟練工が試行錯誤し、寸分たがわぬ精度で接合できるアルミ板の大きさを見いだした。

■「生活の足に」

 川重は建造中止の間も、子会社を通じて運航会社にJFの修理用部品を供給し続けており、建造再開時の部品確保に役立った。新たに部品の調達ルートも開拓した。航空機部品などを加工する神戸市内の中小事業者はその一つ。部品の図面がないため、持ち込まれた現物の形状を機器で測り、同じ部品を再現させた。男性経営者は「蓄積してきた技術が通用することが分かり、JFの復活プロジェクトは貴重な経験になった」と笑顔をみせた。

 今後、川重は国内航路の更新需要に応えていく方針だが、海外展開も視野に入れる。甲斐健太郎JFプロジェクトマネージャー(43)は「100キロほどの距離で、発着港が市街地と近い航路にJFはうってつけ。生活の足や観光客の呼び込みにも役立ちたい」と話している。

【ジェットフォイル】米ボーイングが航空機生産の技術を生かして開発した特殊船。当初は軍事用で、1974年に旅客用が開発された。毎分180トンもの海水を噴射しながら船体を浮き上がらせ、波の抵抗を受けずに時速45ノット(83キロ)で航走する。波風を切って雄々しく進む姿から「海を飛ぶ」とも表現される。