経済
苦境にあえぐ百貨店を「再定義」 大丸松坂屋百貨店社長・澤田太郎さん
読者のみなさんにとって、「百貨店」はどのような存在だろう。私にとっては、ほしい物が何でもそろい、特別なランチが食べられて、屋上に遊園地もある憧れの場所-だったのは、30年以上も昔の話。近年は大型商業施設やインターネット通販の台頭で、そのイメージはずいぶん変わった。かつて「小売りの王者」と呼ばれた百貨店の市場規模は、小売業界全体150兆円の中で6兆円にも満たない。新型コロナウイルス感染拡大という予期せぬ出来事が起き、「3密」を基本にしたビジネスの転換も迫られる。この難局を乗り越えるため、今年5月に大丸松坂屋百貨店の社長に就いた神戸出身の澤田太郎さん(60)は「百貨店を再定義する」と語る。どういうことでしょうか。(三島大一郎)
ー新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言を受け、店舗の休業を余儀なくされました。4、5月に売上高が約7~8割も落ち込んだのは衝撃でした。
「当初は気温が上がれば(新型コロナ禍は)収まるだろうと楽観的に考えていました。ところが、あっという間に感染が広がった。全国の店舗を一斉に閉めた経験なんてないですから、かなり戸惑いました。分かったのは、百貨店は店頭を起点にしたビジネスで、店が閉まると手も足も出ないということ。外商部が顧客とのやりとりを続けましたが、極めて限定的な活動でした。百貨店は店舗と営業時間の制約の中でしか成り立たない。当たり前のことを改めて思い知らされました」
「売り上げが相当落ち込むことを予想し、資金調達に向けて最悪を含む三つのシナリオを考えました。その真ん中のシナリオでは、店舗休業が3カ月間続くと想定した。実際には約50日間で営業再開にこぎ着けることができたので、少しほっとしました。売り上げも回復しましたが、8月には感染の再拡大によって、また悪化。今後も一進一退の状態が続くことを覚悟しています」
ー百貨店業界はコロナ前から、業績の低迷が続いていました。どう立て直しますか。
「昭和30~40年代は、百貨店業界の上位企業がすなわち小売業界のトップ企業でした。ほかにない豊富な品ぞろえでワンストップショッピングを提供できた百貨店は、大きな影響力を持っていました。でも、今は何でも物がそろうという役割は百貨店だけではなくなってしまった。その結果、消費者に求められていない、縮小すべき売り場が出てきている。残念ながらアパレル分野はその一つでしょうね。大事になるのは、空いたスペースを使ってどんな価値を提供するかということ。新しいコンテンツが必要になります」
「例えば、絵画などアート作品は百貨店との親和性が高いと考えています。普段よりワンランク上の心が豊かになるという意味で、芸術の分野は可能性があると感じます。ほかにも武器となるコンテンツを数多く持つことができるかどうかが重要です。昨年9月に新装開店した大丸心斎橋店のように、定期賃貸借契約で大型のテナントを入れる手法も、新しいコンテンツ展開には有効でしょう。家電のショールームや劇場、医療モールなど自由度が高く選択肢が広がるからです」
ー百貨店業界で働くことが、小さい頃からの夢だった?
「いえいえ、全くそんなことはありません。学生時代に大丸神戸店でアルバイトをした経験があって、いい会社だなとは思っていましたけどね。就職先を決める時、商社や小売業なら文系の自分でも組織の中心で働けるのではないか、と考えました。それで最後に受けたのが百貨店。配属先は、入社した1983年開業の梅田店を希望しましたが、結局は第3希望の神戸店に行くことに。担当は希望したメンズファッション職場になりました。洋服が好きだったので、それは良かったですね」
ーそれから約30年間、ずっと神戸店での勤務ですね。
「店長になる前の1年間は東京に行きましたが、それ以外はずっと神戸にいました。そのおかげで今の自分があると思っています。入社当時、店舗のある神戸・元町は、にぎやかな三宮に比べてさみしい街でした。でも、1986年の長澤昭さんの店長就任が転機となりました。店内を若々しい雰囲気に改装し、旧居留地の整備が始まりました。同エリアのレトロなビルなどに海外ブランド店が次々とオープン。日本初、関西初の店が神戸にやってきて、客数も客層も見る見るうちに変わりました。店長のリーダーシップと戦略で、ここまで変えられるのだと現場で実感しました。もう一つの大きな経験は、95年の阪神・淡路大震災です」
ー神戸店の被害は大きかった。
「建物の3分の2が倒壊しました。本館西側の一部と南館は使えたため、その部分だけで営業を再開することになりました。従業員食堂に寝泊まりし、夜中に店長にプレゼンテーションをしました。営業再開は震災発生から約3カ月後の4月8日で、多くのお客さんが来館し、なじみの販売員と抱き合って再会を喜ぶ光景もありました。人々の笑顔を見て、本当に百貨店に就職して良かった、そう思いました」
「当時の店長は、森範二さんでした。ある日、販売できなくなった商品をバーゲンで安く提供してはどうかという案が出ました。すると、森店長は『絶対にだめだ』と一蹴した。『百貨店の役割は生活応援ではない。生活をより豊かにする、潤いを与えることだ』と言って。この言葉は今の自分のベースとなっています。98年からの3年間は、阪神・淡路産業復興推進機構に出向しました。地元兵庫の復興に携わり、異業種の方々と交流を続けた経験は、今でも大きな財産です」
ー社長という立場から、今の大丸神戸店をどう見ていますか。
「トアロード玄関から見た神戸店って、すごく美しいと思いませんか。日本一きれいな百貨店だと思うんです。旧居留地というエリアにとてもなじんでいる。実は全国の店舗の中で、新型コロナ禍からの回復が一番早いのが神戸店なんです。顧客基盤が強く、訪日客への依存度が低いことも奏功しました。地元の人々に親しまれている店だな、とつくづく思います。もっともっと新しい物を取り入れて、神戸のお客さまに紹介したい。同時に神戸、兵庫の本当にいい物を発掘し、全国、世界へと発信していきたい。これからも街のシンボルであり続けたい、と願っています」
【さわだ・たろう】1960年神戸市灘区生まれ。六甲中学・高校(現六甲学院中学・高校)、滋賀大経済学部卒。83年4月、大丸(現大丸松坂屋百貨店)入社。2011年に大丸神戸店長、19年にJ・フロントリテイリング執行役常務などを経て、20年5月から現職。
【大丸松坂屋百貨店】大丸と松坂屋ホールディングスが経営統合し、2007年に発足したJ・フロントリテイリンググループの中核企業。百貨店「大丸」と「松坂屋」を16店舗展開する。資本金100億円。20年2月期の売上高は6562億円。従業員数は2142人(20年2月末現在)。



















