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神戸に愛し愛された経済人 89歳で死去・野澤太一郎氏 まちづくりからプロ野球まで幅広く

2022.02.28
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旧居留地十五番館の前で、建物への思いを語る野澤太一郎さん=2013年12月、神戸市中央区浪花町

旧居留地十五番館の前で、建物への思いを語る野澤太一郎さん=2013年12月、神戸市中央区浪花町

 23日に89歳で亡くなったノザワ(神戸市中央区)元社長の野澤太一郎さんは、地元神戸を愛した経済人だった。活躍のフィールドはビジネスにとどまらず、まちづくり、芸術、プロ野球と幅広かった。

 1958年、野澤石綿セメント(現ノザワ)に入社し、67年に社長に就いた。本社とした神戸・旧居留地の洋館「十五番館」の永久保存を決意し、89年に国から重要文化財の指定を受けた。

 92年には旧居留地にオフィスや店舗を構える企業の「旧居留地連絡協議会」の会長に就任。95年1月の阪神・淡路大震災では、自社の十五番館を含む22棟のビルが全壊するなど大きな被害を受けたが、翌月に緊急会議を開いて対応を話し合うなど、復興にリーダーシップを発揮した。

 兵庫経済界の絵画愛好家とは「ルネッサンス会」を結成して油彩の筆を執り、クラシック音楽の演奏会にも足を運んだ。

 一方で、神戸に本拠を置いたプロ野球オリックス・ブルーウェーブの後援会長も務め、95年のパ・リーグ制覇と96年の日本一を見届けた。2004年にオリックスと近鉄の球団合併問題が持ち上がった際は、ファンの先頭に立って本拠地を神戸に残すよう球団側に訴えた。

 野澤氏が27年間務めた旧居留地連絡協議会の会長職を引き継いだ松岡辰弥・松岡不動産社長(57)は「温和で人望が厚く、いつも会員同士の親睦に心を配っておられた。まだまだ多くのことを教えてほしかった」としのんだ。(高見雄樹)