ひょうご経済プラスTOP 経済 5つの目玉、したたる滴…話題の万博公式キャラ 制作者は「僕と妻、おかんです」

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5つの目玉、したたる滴…話題の万博公式キャラ 制作者は「僕と妻、おかんです」

2022.04.02
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大阪・関西万博の公式キャラクターとデザインした「マウンテンマウンテン」代表の山下浩平さん=2022年3月22日、東京都内(2025年日本国際博覧会協会提供)

大阪・関西万博の公式キャラクターとデザインした「マウンテンマウンテン」代表の山下浩平さん=2022年3月22日、東京都内(2025年日本国際博覧会協会提供)

山下浩平さんらがデザインした大阪・関西万博の公式キャラクター(2025年日本国際博覧会協会提供)

山下浩平さんらがデザインした大阪・関西万博の公式キャラクター(2025年日本国際博覧会協会提供)

大阪・関西万博の公式キャラクターとデザインした「マウンテンマウンテン」代表の山下浩平さん=2022年3月22日、東京都内(2025年日本国際博覧会協会提供)

大阪・関西万博の公式キャラクターとデザインした「マウンテンマウンテン」代表の山下浩平さん=2022年3月22日、東京都内(2025年日本国際博覧会協会提供)

応募時に提案したキャラの変身バリエーション(2025年日本国際博覧会協会提供)

応募時に提案したキャラの変身バリエーション(2025年日本国際博覧会協会提供)

 2025年の大阪・関西万博の公式キャラクターが決まった。奇抜なロゴマークでかたどられた頭を、腕から滴がしたたり落ちる手で支える姿には賛否が飛び、「スター性がある」とも「怖い」とも。生み出したのは、デザイナーで絵本作家の山下浩平さん(51)=東京都=が代表を務めるデザイングループ「mountain mountain(マウンテンマウンテン)」。制作の裏には、新型コロナウイルス禍の中で光を探し、育った神戸への思いを秘めた山下さんの姿があった。(大盛周平)

 3月22日、東京都内で開かれた公式キャラクター発表会見。山下さんは「マウンテンマウンテン」代表として、あまたのフラッシュを浴びた。

 グループは、受けた依頼に合わせて、メンバーを変えながら活動を続けてきた。その名の由来は2000年、2人で始めた相手の姓にも「山」があったから。

 今回の制作メンバーは-。

 「僕と妻、おかんなんです」

 ■動機

 昨年11月、公式キャラの公募が始まった。最大の応募動機は「何か明るいことをしたい」だった。

 長引くコロナ禍。フリーランスの山下さんにとっても、その影響は大きかった。朝日小学生新聞の長期連載「ファーブル先生の昆虫教室」の絵を描き、自作の絵本づくりに励んでいた。だが、連載は20年3月に終わり、取材を進めていた絵本づくりもコロナが広がるにつれて滞り、仕事は激減した。

 公募を、前を向くきっかけにしたかった。ぬいぐるみデザイナーで、グループのメンバーでもある妻とイメージを練った。妻が出した「水の都」のアイデアを膨らませ、キャラクターが姿を変えていくコンセプトが生まれた。

 20年8月に決まったロゴは「強烈だった」。目のような細胞核があり、そのものがキャラクター。頭の中でロボットや鳥、虫のようなものへと自在に様変わりを続けた。最後にできたのはメインの人型。複数のデザインから「インパクトがある、一番多く滴がついてるやつ」になった。

 コロナ禍の合間を縫って神戸に帰省。趣味で絵をたしなむ母にデザインのスケッチを見せ、意見をもらった。「仕事をしていると安心させたい」という思いもあった。

 自宅に閉じこめられ、帰省もままならない中での共同作業。「正直選ばれると思っていなかった」。が、「家族で一緒にドキドキできた」。応募1898作から最終の3候補に選ばれると、母は近所の神社へお参りに行き始めた。

 ■こだわり

 小さな頃から、絵を描いてきた。

 山下さんは熊本で生まれ、父の仕事の関係で東京、鹿児島など全国を転々とした。小学6年で神戸市須磨区に転居。細部にまで演出をこだわる高畑勲監督のアニメーションに憧れ、富野由悠季監督のアニメ「伝説巨神イデオン」(1980年)や全編人形劇による映画「ダーククリスタル」(82年)に心打たれた少年は兵庫県立明石高校の美術科に進んだ。

 アルバイト代で画材を買い、自作漫画などの販売会「コミケ」に出品。19歳の時には少女漫画誌「別冊マーガレット」に作品を応募し、入賞したこともある。

 大阪芸術大で油絵などを学んだ後、デザイン事務所を経て、縁あって神戸・元町の古着屋の看板や内装のデザインに携わってきた。そんなさなかの1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生した。

 当日は仕事で米・サンフランシスコにいたが、慌てて帰国した。神戸の街が、仲間が傷ついた姿を目の当たりにした。がれきを片付けたり、付き合いのある店を直しにいったり。無事だった実家の風呂は被災した人たちに提供した。

 95年春から古着屋「phoebe permanent wave(フィービー パーマネント ウェーブ)」を開き人気店に育てた。だがデザインで勝負をしようと、20代後半に東京へ打って出た。

 ここ10年、力を注いできたのは絵本だった。昆虫を描くため、数百匹のチビクワガタを自分で飼育するなど、絵や子どもに本気で向き合い、実績を積んだ。

 東京に来て20年余りが過ぎた。でも、神戸を、神戸で同じ時を過ごした人たちを大切に思う気持ちは変わらない。大阪の万博記念公園に立つ「太陽の塔」が好きで、内部への見学に何度も応募し、通い詰めた。そのシンボルのもとに開かれた1970年の大阪万博に叔父が携わった縁もある。「別の地域での万博だったら応募はしていなかった」と言う。

 手掛けたキャラクターが選ばれた今、自らが育ち、数多くのゆかりがある関西、神戸に少しでも恩返しをしたいと思う。

 感謝を届けたい人がいる。神戸市立白川台中学3年生だった絵が大好きな少年に、高校美術科への進学を勧めてくれた美術部顧問だ。部活動以外の時間であろうと、何度も何度もデッサンを見てくれた。「そのときのお礼が言えてなくて。『僕、今も描いてます』と伝えたいですね」

 ■手を離れても

 「選ばれてとても光栄」と素直に思う。好きに外出できなかった日々でも「楽しみながらデザインしたし、家族と少しでも明るく過ごせた」

 ただ、少しの戸惑いを感じる。「教室の隅っこで『こんなんできた』と絵を見せて、気付いてくれた人に『すごいやん』と言われるとうれしい。それが僕の、世の中との関わり方なんです。今回はたまたま評価されただけで」と打ち明ける。

 人前に出るのは得意ではない。だから、記者発表の場でも必要以上に疲れた。一気に自分の名前が出たことにも困惑する。

 一方、自らの作品は「ロゴを生かして無限大に形を変える」と言う。自分たちのイメージが次々に変化したように「僕たちの手を離れても、誰にでもどうにでもできる」と多くの人に関わってもらえる可能性を感じる。実際にネット上では二次創作が生まれ、さまざまに変貌し続けている。

 喜びと戸惑いの中で、山下さんは「自分が表現したいもの、自分の気持ちに近いもの」を残していくという思いを、見失わないつもりでいる。

 記者発表から数日後。山下さんは、妻、母と兵庫県たつの市の室津港に向かった。数年前に亡くなった父との思い出の場所。何気ない帰省の時だった。

【やました・こうへい】1971年、熊本県生まれ。友人らと漫画雑誌をつくるなど幼少期から絵を描く。神戸市須磨区の市立松尾小学校に6年で転入。兵庫県立明石高校美術科を経て、大阪芸術大美術学科卒業。2000年から「mountain mountain」でキャラクターデザインなどの活動に従事。「やましたこうへい」名義では、生き物を主題にした絵本や児童書を多数制作。「まんが 星の王子さま」(小学館)や「ちびクワくん」シリーズ(ほるぷ出版)など。東京都在住。