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ダイエー中内功氏、生誕100年 流通業界のカリスマは何を成し、何を誤ったか

2022.08.02
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インタビューに応える中内功ダイエー会長兼社長=神戸メリケンパークオリエンタルホテル、1995年9月

インタビューに応える中内功ダイエー会長兼社長=神戸メリケンパークオリエンタルホテル、1995年9月

神戸新聞のインタビューに応える田村正紀神戸大名誉教授=宝塚市栄町2(撮影・三津山朋彦)

神戸新聞のインタビューに応える田村正紀神戸大名誉教授=宝塚市栄町2(撮影・三津山朋彦)

メガホンを手に応援する福岡ダイエーホークスの中内功オーナー=平和台球場、1989年6月

メガホンを手に応援する福岡ダイエーホークスの中内功オーナー=平和台球場、1989年6月

流通科学大中内功記念館に再現された書斎=神戸市西区学園西町3(撮影・鈴木雅之)

流通科学大中内功記念館に再現された書斎=神戸市西区学園西町3(撮影・鈴木雅之)

 戦後の日本社会に安売り旋風を巻き起こし「流通業界の風雲児」「カリスマ」などと称された総合スーパー・ダイエーの創業者中内功氏。高度経済成長の波に乗り、プロ野球球団やドーム球場、ホテルなどを抱える巨大流通帝国を一代で築き上げた。だが、1990年代以降、バブル経済の崩壊や阪神・淡路大震災によるダメージで、ダイエーは経営危機に陥り、中内氏は再建の行方を見届けることなく、2005年9月にこの世を去る。

 神戸・三宮にはかつて「ダイエー村」と呼ばれた店舗群があった。震災で倒壊した後は再建されることもなく、今、跡地にはユニクロやZARAなどのファストファッションの店舗が立ち並ぶ。コロナ禍の最中にあった2021年の年末には、旧ダイエー時代から60年の歴史を持ち、震災復興のシンボルでもあった神戸・新長田の店舗も閉店した。往時のダイエー、中内氏は人々の記憶から忘れられつつある。

 太平洋戦争の苛烈な従軍体験から、平和で豊かな社会を渇望した「流通革命」の旗手は何を成し、何を誤ったのだろうか。コロナ禍やウクライナ戦争、相次ぐ自然災害、デジタル化の波など時代が激動する今、不世出の起業家から何を学ぶべきか。

 8月2日に中内氏生誕100年を迎えるのを機に、経営学の泰斗で30年余にわたって親交があった田村正紀神戸大名誉教授(84)の証言をもとに、中内氏の波乱の生涯をたどった。

■中内氏、その生涯

 中内氏は1922(大正11)年8月2日、大阪市で生まれ、41(昭和16)年に神戸高等商業学校(現兵庫県立大学)を卒業後、日本綿花(現双日)に入社。太平洋戦争に従軍した。

 生死の境をさまようフィリピン戦線から帰還した中内氏は、実家のサカエ薬局(神戸市兵庫区)で働き、神戸の闇市で商売を経験した後、大阪・千林駅前に「主婦の店ダイエー」を開業した。57年9月、35歳のときだった。

 翌年、神戸・三宮に出店すると、消費者のニーズに応えるべく食品、衣類、日用品がそろう総合スーパーの礎をつくり、猛烈な勢いで全国にチェーン展開する。創業からわずか15年後の72年には、老舗百貨店三越を抜き「小売業日本一」を達成した。さらに、バブル期の80年代以降、プロ野球球団やホテル、リクルートなどの派手な買収劇を繰り広げ、売上高3兆円を誇る日本最大の流通王国を築く。日本チェーンストア協会初代会長や神戸商工会議所副会頭を務め、90年に流通業界出身で初めて経団連副会長に就任した。

 しかし、バブル経済崩壊に加え、95年の阪神・淡路大震災の被害で、業績が悪化。2000年10月に会長を辞任し、翌年1月に創業者の意の「ファウンダー」に就任するが、02年に全役職を退く。晩年は1988年に自ら創設した流通科学大(同市西区)の学園長として後進の育成に力を注いだ。ダイエーは2004年12月に産業再生機構の支援を受け、15年1月にイオン傘下に入った。

■消費のトレンドを読み間違えた

 「なんで失敗したと思いますか」。2000年代初頭のある日、神戸大を退官後に流科大に教授として招かれていた田村名誉教授は、学生食堂でカレーライスを食べながら、中内氏に思い切って尋ねた。

 すると、中内氏は三つの要因を挙げた。真っ先に挙げたのが「消費のトレンドを読み間違えた」だった。1960年代の低価格路線、すなわち中内氏の「安売り哲学」が、90年代には変化していたと、田村名誉教授は分析する。続いて中内氏は「組織が官僚化していた」。そして、3番目は「阪神・淡路大震災がダメ押しやった」。震災で、ダイエーの稼ぎ頭だった神戸・阪神間の店舗が大きな被害を受け、被害額は約500億円に上っていた。

■極めて野性的な経営者だった

 中内氏と初めて会ったのは、70年代の伸び盛りのころだったという。「日本の経営者で最も起業家精神にあふれた人」と評価する。その起業家精神の要件について、ロマン、未来志向、チャレンジ精神、リスクをいとわない、八方に目配りする-の五つを挙げる。

 中内氏にとってロマンとは何か。田村名誉教授は「先生、また『野火』を読みました」という彼の言葉を思い出す。作家大岡昇平が描いた、死の恐怖と飢餓に苦しみながら兵士がフィリピンのジャングルをさまよう極限状態。少なくとも若いころの中内氏のロマンは、戦争中の貧しい状態に戻ってはいけないというのが原点だった、とみる。また、経営者には「野性、理性、感性」のバランスが必要だが、中内氏は戦争体験と闇市で鍛えられ、「極めて野性的な経営者。行動力がものすごかった」と振り返る。

■安売りのため商品の川上までさかのぼった

 「よい品をどんどん安く より豊かな社会へ」-。

 ケネディ元米大統領が1962年5月、全米スーパーマーケット協会の大会に「スーパーがアメリカの豊かな消費生活を支えている」とのメッセージを寄せた。この大会に日本代表として参加していた中内氏はメッセージに感動し、「この道しかない」と思い定めた。この信念を貫くため、医薬品、化粧品、家電製品などの安売りに挑み、資生堂や松下電器産業(現パナソニック)などの大手メーカーと闘った。価格決定権はメーカーではなく、消費者が握る。この消費者主権を目指す「流通革命」はなぜ、成功したのか。

 田村名誉教授はその要因を、消費者が欲する値段を出発点に、それを実現するために商品の川上にまでさかのぼった中内氏の発想にあると指摘する。例えば、客が「牛肉がほしい」といえば、オーストラリアまで行って牛を調達。生きたまま沖縄に運んで育て精肉にし、安く売った。川上までさかのぼって破壊的な値をつけるので、業界秩序を乱した。「彼は敵と味方がはっきりしていて、敵だと思ったら戦った。過酷な戦争体験や闇市で鍛えられた野性のふるまい方だ」という。

■派手なM&A、その陰で膨んだ借金

 72年に小売業日本一に立った2年後、「レバレッジ(てこの原理)」で借金して出店を加速するダイエーの成長モデルに影がさす。大型店の出店を規制する「大規模小売店舗法」が施行され、各地の商店街や中小小売店から反対運動が起き、新規出店に歯止めがかかった。

 四面楚歌となった中内氏は、80年代後半からプロ野球球団の買収やドーム球場の建設、リクルートや中堅スーパーなどのM&A(企業の合併・吸収)を加速させる。傍目には飛ぶ鳥を落とす勢いに見えたが、急激な拡大路線の裏で巨額の借金が膨らんだ。

 ダイエーの足跡を克明に記録した資料を中内氏から託された田村名誉教授は、中内氏がこの頃、次の一手を必死に模索していたとみる。その上で、ダイエーが採った対策は、国際化、PB(プライベートブランド)、M&A、サービス関係への進出-の四つあったと分析する。

 80年代には九州ダイエーとユニードを合併したり、ハワイの大規模ショッピングセンターを買収したりした。サービス関連では、神戸の名門・旧オリエンタルホテルを買い、JR新神戸駅やメリケンパークに新しいホテルを建設した。南海ホークスを取得し、福岡ダイエーホークスとしてドーム球場を建設したのもこの時代だ。

 こうした巨額投資はすべて中内氏が決定しており、操縦できる人が他にいないことから、田村名誉教授は「中内コックピット」と呼んでいた。

■人材流出

 ダイエーがまだ拡大路線をひた走っていた93年ごろ、田村名誉教授は元住友銀行役員でダイエーグループにいた知人に誘われて、ある晩、大阪市内の料亭に行って驚いた。襖を開けると、グループの幹部20人ほどがずらっと頭を下げていた。「今の経営はリスクがあって心配しているので、中内さんに伝えてほしい」と頼まれた。このころから、田村名誉教授のダイエーを見る目が変わる。確かにリスクが高いと思ったという。

 90年代には借金が増えるとともに、優秀な人材も去っていった。中内氏が息子の潤氏を後継者にしようとして、強敵になりそうなエースを関連会社に出してしまったことが要因とみる。それまでの中内氏は絶えず若い人材を探して抜擢していた。30歳代の若い役員が一気に誕生して話題になったこともあった。

■功罪を超えて

 流通業界は90年代以降、大規模小売店舗法の規制が緩和された。ダイエーはM&Aに走って借金が膨らんだ末、経営不振に陥り、イオンの傘下に入った。中内氏も経営の一線を退いた。イオンは「イオンモール」で息を吹き返し、イトーヨーカ堂はコンビニを積極的に展開し、流通業の本業で生き残った。

 産業と消費者の橋渡しをする流通業の発展が消費生活を安定させ、社会を豊かにするというロマンを追い求めた中内氏。功罪は確かにある。しかし、田村名誉教授はインタビューをこう締めくくった。

 「閉塞感のある今こそ、野性味あふれる中内さんのような人が必要だ。中内さんの生きざま、全人生をかけて何をシグナルとして送ったか。彼だったら今、何をしたか」

(村上早百合)

【年表】中内功氏およびダイエーの動き

◇8月3日から連載「秘録 ダイエー中内功 生誕100年に寄せて」を順次掲載します。