経済
ダイエー中内功氏が残したメッセージ 「商売は仮説を立て実証を」社員らにはがき2000枚
神戸出身で総合スーパーダイエーの創業者中内功氏の生誕から8月2日で100年になる。一代で巨大流通グループを築いたが、経営不振に陥った同社の再建を見届けることなく、2005年に83歳で亡くなった。生死の境をさまよう従軍体験から「流通を通じて戦争のない平和で豊かな社会を築く」との理念を、創設した流通科学大(神戸市西区)で学生に伝え続けた。
中内氏はダイエーをプロ野球球団も抱える日本最大の小売業に育てた。バブル崩壊や阪神・淡路大震災で業績が悪化。02年、その責任を取り経営から退いた。
晩年を過ごした流科大では、起業志望の学生らを対象に「中内ゼミ」を開講、亡くなる直前まで育成に情熱を傾けた。01年の開講時には「地域社会で大型店と中小商店が『共生』して初めて、合理的でしかも人間的な商業空間が生まれ、本当のコミュニティーが形成される」などと、過去を反省するかのように、中小企業の重要性を述べた。
亡くなる前年にはアメリカ横断道路「ルート66」で運転する夢をかなえたいと、大学近くの自動車教習所に半年間通い、免許を取得した。「80歳を過ぎても挑戦できるんだから、学生にはもっと可能性があると、身をもって教えたかった」と、周囲に語ったという。日本料理の教室や慶応大大学院でビジネスを学ぶなど、生涯、好奇心が衰えることはなかった。
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中内氏は最高経営責任者(CEO)時代の1985年から約20年間、毎週、ダイエー社員や流科大生に、はがきを送り続けた。その数は計約1990枚に上る。中内氏が伝えたかったこととは。関係者の証言を記録した連載の締めくくりとして、本人のメッセージを紹介する。(取材班)
■商売は必ず仮説を立て実証を
「from CEO(会長兼社長から)」と名付けたはがきは、中内功氏がダイエートップだった1985年12月から始まった。経営方針や人生哲学などを社員に書き送り、1060枚を数えた。流通科学大が開学した88年4月以降は「from Rijicho(理事長から)」と題し、学生に約930枚を送った。亡くなる少し前の2005年9月6日付が絶筆となった。
【CEO時代】
「ダイエーらしさについて」(1986年5月)は、「店先宣伝のひとつを見ても、ダイエーらしさが欠けてきた様に見える」と書きだす。「ダイエーらしさ=理性に訴えるものである。感性という言葉がとびかっているが、世に必要なものは理性である。『良い品をどんどん安く』売るということは理性によって可能になる(中略)感性という言葉で現実のきびしさから逃避しては恥ずかしい」と、安売りの基本を示唆する。
元ダイエー社員で流科大中内記念館担当の辻田勝治さん(64)は、中内氏の言葉で記憶に残るのが「必ず仮説を立てて実証せよ」だったという。
まさにそんな内容の「仮説をもって発注すること」(93年1月)は「過去のデータを見て発注するだけなら、人間は不要である。コンピューターが自動的に発注する方が正確である。明日に向かって意思をもつことが生きている人間の仕事である」と指摘。何をいつ、どんな顧客の生活シーンを想定して売るかなど仮説の必要性を強調し「仮説を実証することで商売の勘をたかめてゆくことが、一人前の商人となる途(みち)である」と説く。
経営の大打撃となった阪神・淡路大震災後には「スマートな体制づくり」(95年8月)をタイトルにした。「21C(世紀)の流通業界の最大、最強の企業集団としてダイエーグループが生き残れるかどうか?ローコスト化のもう一層の強力な推進しかない。ムダ、ムリ、ムラについて全社的に再点検しなければならない」と危機感を訴えた。
【大学理事長時代】
学生宛ては、行動や生き方の指針を示す内容が多い。最初の「入学式を終了して」(88年4月)は「あなた方は一人前の人間として社会的に認知されたことになります。自主、自律、自己責任を持つことがほんとうの自由ということです」と大人の自覚を促す。
「出会ひを創造していますか」(同5月)は「努力しなければ出会ひはできません。出会ひを創造する方法の一つは声をかけることです。相手を認識すること、相手に先手をとって『あいさつ』することです。何事も先手をとる積極性が必要です」と教える。
阪神・淡路大震災直後には「前を向いて歩こう!」(95年1月)としたためた。「悲観は気分から生まれる。楽観は意思から生まれる。強い意思をもって、自主・自律の精神を奮ひたたせて、勇猛心をもってこの事態に対処しなければならない。(中略)この度の災害の中で、『情報の大切さ』『流通の大切さ』が、あらためて認識された。前を見て歩きつづけよう」と呼びかけた。
ラストメッセージは、亡くなる約2週間前の「ルールを知る」(2005年9月)だった。「ゲームに参加するには、ゲームのルールを知らなければ参加できない。(中略)人生を一つの大きなゲームと仮定すれば、何をして、何を獲得して、どう生きてゆくかを考えなければならない。ルールは時に応じて改定される。新しい対応を求められる。先(ま)ず、ルールを知り、ルールの改定の先を読む知恵を」
■流通への思い、2冊の主著で訴え
読書家だった中内功氏は蔵書も多く、流通科学大には中規模教室がいっぱいになるほどの書籍が保管されていた。若いころ新聞記者志望でもあった彼は、生涯に2冊の主著を残した。
1冊目の「わが安売り哲学」(1969年、日本経済新聞社刊)は「流通革命によって実現する社会は、消費者を主権とする消費社会」と記す。急成長のさなかだけに、全体に流通革命への熱い思い、揺るぎない覚悟がみなぎる。
「人は現場で鍛える」の項では「限界を知らぬ人間の力が、不可能とされていたことを可能にする」とし、「革命に必要な無限のエネルギーは、若者たちにある」と期待する。
最終章「競争こそすべて」では、戦争の極限状態が自らの核とし「努力の果てにすべてを投げ出したような、なげやりな気持ちである。そこに楽天主義も生まれてくる。こんな楽天性がないと、人間、生きられるものでない」。
2冊目は日本経済新聞の連載をまとめた「流通革命は終わらない」(2000年刊)。生い立ちから従軍体験、創業期や経営哲学などを克明かつ率直につづった。あとがきは「『野火』は今も燃えている」と題し「人間が人間らしい暮らしができる『人間化の世紀』を創るための『流通革命』の道の一筋。この道を貫くことを通じて、若者に語り続ける」と書いた。