経済
震災から復興、神戸・長田の共同スーパー「フーケット」閉店へ 大型店との競争激化、物価高も負担に
1995年の阪神・淡路大震災で全壊・全焼しながら共同スーパーとして復興を果たした神戸市長田区の「食の棚フーケット」が30日を最後に閉店する。前身の「丸は市場」の時代から地元に愛されてきたが、近年は周辺に食品スーパーの出店が増えて競争が激化していた。107年の歴史に幕を下ろす。
丸は市場は16(大正5)年に創立。震災前、同区久保町5の鉄筋3階建ての店舗兼住宅で39店舗が営業していたが、大きな揺れで全壊、その後火災に見舞われて全焼した。
それでも95年6月には、地元商店街やダイエーなどと一緒に被災した約100が集まり、共同仮設店舗・復興元気村「パラール」をオープン。再開発ビルでの仮設店舗を経て、2002年3月、食の棚フーケットとして本格再開した。
長田区腕塚町5の再開発ビル「アスタくにづか1番館」地下で、丸は市場から6店が参加。名称は、市場時代の「食品専門店の良さを残したスーパー」にしたいと、「フード」と買い物かごの「バスケット」を融合させた。
通常のスーパーのように、各売り場を回って商品を選んだ後にレジでまとめて会計をするセルフ方式を導入。魚をさばいたり、肉を量り売りしたりする対面販売のスペースも残した。5~6年かけて経営を軌道に乗せ、15年ごろには売り上げのピークを迎えた。
しかし、ライフやイオンモールなど大型スーパーの進出が相次ぎ、特に家族で買い物に出かける日曜の売り上げが目に見えて減少。さらに昨年5月、隣のビルに食品スーパーのロピアが進出すると、売り上げが急減した。
ビル商業床の取得費や設備費などフーケットの開業資金の返済は今も続く。共益費といった固定費に加え、近年の物価高で光熱費などのコスト負担がさらに増加。将来が見通せないため、閉店を決めた。
フーケットの運営組合の吉岡治理事長(53)は「開業からずっと、楽な商売ではなかった。それでも上り調子だった10年前に、2号店を出すとか事業者としてもっと手を打てていれば、ここで続けられる目はあった」と後悔をにじませる。
閉店を知らせる貼り紙を見た客からは「ここでしか買い物せえへんのに」と嘆く声が上がる。閉店後は大阪を地盤とするスーパーが7月にオープンする予定。従業員の雇用も引き継ぐ。
最終日の30日は、通常より早い午後6時閉店。さらに閉店時間が早まる可能性もある。(広岡磨璃)





















