マイウェイ汀の物語 1・17から3・11へ(8)途切れない縁

2021/02/22 10:30

ラグビー・ワールドカップの会場で販売のボランティアをする小島汀さん=2019年9月25日、釜石鵜住居復興スタジアム(岩手日報社提供)

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 大学時代、小島汀(おじまみぎわ)(29)=兵庫県芦屋市=はたびたび東北を訪れた。
 半年間休学し、津波に襲われた宮城県石巻市雄勝(おがつ)町の地域再生プロジェクトに参加したこともある。
 仮設住宅を回って、おじいさん、おばあさんとお茶を飲んだり、子どもに勉強を教えたりした。
 卒業旅行も東北だった。そしていつも、「ただいまー」と言って、岩手県釜石市で澤口玉枝さん(54)が営むカフェに顔を出した。
 店内には、ボランティアで開店準備にかかわった汀の手作り看板が飾られている。
 「たくさんの人に助けられて、今度は私がお返しする番」という汀のあいさつは、玉枝さんの心にずっと残っていた。
 そして、その縁は途切れなかった。
     ◇
 玉枝さんと夫の和彦さん(54)夫婦も兵庫を訪れた。阪神・淡路大震災を伝える「人と防災未来センター」=神戸市中央区=を見学し、汀の母親とも食事をして親しくなった。
 2019年。釜石市の「釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアム」が、ラグビー・ワールドカップの会場になった。
 夫婦は、釜石の元気を伝えたいと思い、飲食ブースへの出店を計画する。汀に「手伝ってほしいな」と声を掛けると、汀と母親、県立舞子高校の先輩も兵庫から駆けつけた。
 9月25日のフィジー対ウルグアイ戦。3点差の番狂わせで盛り上がるスタジアムで、ホットドッグやビールを販売した。
 「親戚みたいな感じになってる」と笑う玉枝さん。そんな汀たちに、何度伝えただろう。
 「震災で何もなくなっちゃったけど、あなたたちに出会えたことが宝だよ。モノじゃない。出会いやつながりが、一番の宝」
     ◇
 夫婦は被災後、仮設住宅で暮らしてきた。昨年12月、ついに念願のマイホームが完成した。
 3世代とペットの犬が暮らす2階建ての新居は、震災前に住んでいた場所のすぐ近くだ。土地は約15メートルかさ上げされた。周辺では、今も道路工事が続いている。
 「ようやくここまできたな」とつぶやく和彦さんの隣で、玉枝さんが「忍耐強くなっちゃった」。
 「先のことを考えすぎたら生きていけなかった。よう頑張った」
(中島摩子)
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汀さんが追悼式で読んだ作文全文
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(2)3歳で遺児
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