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父の名前が刻まれた銘板を見つめる小島汀さん(左から2人目)=2009年12月20日、神戸市中央区加納町6
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父の名前が刻まれた銘板を見つめる小島汀さん(左から2人目)=2009年12月20日、神戸市中央区加納町6

■「使命感」少ししんどくなった

 阪神・淡路大震災で父を失った小島汀(おじまみぎわ)(29)=兵庫県芦屋市=は2007年、県立舞子高校=神戸市垂水区=の環境防災科に進学する。02年に新設された全国初の学科だった。

 きっかけは、1人の先輩との出会いだった。

 汀は中学生の時、過去に地震に見舞われた中国・天津を訪れる交流事業に参加している。そこで偶然、舞子高の女子生徒と出会った。彼女は環境防災科の1期生で、震災で母を亡くしていた。

 彼女は仲良くなった汀に「環境防災科は、自分が震災と向き合うきっかけになったよ」と教えてくれた。それを聞いた汀は「私って、震災のこと、全然知らないな」と思った。

 震災当時の記憶が少ない自分に、もどかしさも感じていた。

 「お父さんを失った震災についてもっと知りたい」

 そして6期生になった。

     ◇

 環境防災科の授業では、震災当時、警察や消防、ライフラインを守るために奮闘した人たちの話を聞いた。幼かった自分が知らないところで、多くの人が支えてくれていたのだと、気が付いた。

 中国・四川大地震(08年)の被災地で現地の遺児と交流したり、兵庫県西・北部豪雨(09年)で大きな被害を受けた佐用町でボランティアに励んだり…。活動する汀に、取材の申し込みが相次いだ。

 「私は震災を直接経験していて、震災を語れる最後の世代」-。取材に応じたのは、その思いからだ。だが、報道のされ方に違和感を抱くようになる。

 「父を亡くした女の子が防災を学んでいる」という描き方ばかりが目立った。

 「『正しく生きてる』みたいな記事で、なんか違う…」と感じた。周囲から「すごいね」と言われることも多く、戸惑った。

 「そうじゃないねん。私は、阪神・淡路大震災を知ってほしいのに」

     □

 高校3年だった09年12月、父の名前を刻んだ銘板が、神戸・東遊園地の「慰霊と復興のモニュメント」に加えられた。そこでも、汀に取材が集中した。

 翌日の神戸新聞朝刊に、汀のコメントが掲載されている。父の名前が加わった喜びと、そして-。

 「使命感みたいな気持ちがあって、それが少ししんどく感じるようになってきた」

 翌春、関西大文学部に入学した。(中島摩子)

【バックナンバー】

汀さんが追悼式で読んだ作文全文

(3)レインボーハウス

(2)3歳で遺児

(1)プロローグ

【動画】汀の物語 二つの被災地を生きる理由

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